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「私は伊勢谷友介に暴行された」 東京藝大同窓生が被害告白、広末涼子に声をかけたら…
上記の記事のコメントの上位の方は昔の話を今更持ち出すことに対して否定的な意見が並ぶ。例えばこんな意見

大麻で逮捕されたのは伊勢谷が悪いし、伊勢谷の責任。

でも、逮捕されたり、暴力振るうようなうわさが出てきたとたん、
20年以上も前の話を急に週刊誌に売り込むのはどうなのか。

当時警察に届けるなりしなかったのはなぜなのか。
結局お金が欲しいだけなのではないのか。

至極まっとうで正論。ぐうの音も出ないようなコメントですね。
しかしそれに対する返信コメントを見ると

この話は2012年に文春に伊勢谷のDV疑惑意が報じられた当時にも取り上げられてましたよ
でも当時は話題にならなかっただけ。
大麻で逮捕された今だからこそ、やっぱり本当だったのでは、と改めて信憑性を持って現在また報じられてるのでは。

なるほど、確かに当時は誰も信用していなかったのかもしれません。
とは言え、なぜ警察に通報しなかったのか?って、よっぽどでなければ警察沙汰にしたくない人も多いとは思いますが。

その時は不愉快に思っても、状況を誤解してカッとなっただけだろう、と大人の分別でグッと呑み込んだんだろう。その時に伊勢谷友介を潰していれば、という考えは今だから言えることで、その当時の彼は学内でも手強い人物で忖度された部分はあると思う。

人間そうそう合理的な行動をするわけでもない。

性癖みたいな部分をばらすのはどうかと思うけど、これは事実なら暴行事件なのだから今話しても良いのでは。それに当時訴えたとしても、伊勢谷周辺というよりも広末涼子の周辺の方こそ抑え込もうとしたのでは。20年前の広末涼子の人気は凄かったですよ。

なるほど。

伊勢谷さんの逮捕後に言うのについては妥当な判断と思われる。
当時言ったって事務所やグルであるマスコミにもみ消されるだけだ。(反撃するにはタイミングというものがある)
しかも伊勢谷さんは真偽はともかくとして、半グレと親交があるとネット民や一部の芸能リポーターからも噂されていた人物。なので、伊勢谷さん側からの報復というのを恐れて泣き寝入りというのもあったのだろう。

確かに、警察沙汰にしたくないという理由の一つに後々めんどうなことになるかもしれないってのはありますよね。
特に相手が訳の分からないような人間だと。当時は大学生ですが、いきなり殴りかかるなんて正気の沙汰と思えません。キレたら何するかわからないような人って印象でしょうか。

 
そしてまとめ

警察行けばよかったのにとちらほらあるが
20年前は同級生に殴られたから警察に行くような時代ではなかったよ。

今や、子どもが親に殴られたと通報したら、親が捕まる時代だもんね。
昔で考えればあり得ない。
学内で言っても介入してくれたかどうかレベルだよなぁ。
同級生に殴られて警察に・・・なんて昔は無いな。
理由はかっこ悪いから。

一番説得力のあるコメントは一番下でしょうか(笑)今は知りませんが、昔だったら同級生との喧嘩で大けがしたとかなら別ですが普通警察行かないですよね。
実際骨折してるのは殴りかかったほうだし(笑)

 

これに対してさらにこんな反論が

おまえの周りではな。
すでに暴力は警察が動く時代だったよ。
勿論被害届があれば警察は受理するでしょうが、死人が出ているわけでもない。ましてや学校内の学生同士のいざこざですからね。動くというか捜査するまでもなく加害者も特定されているわけで比較的あっさりと書類送検されて示談成立なら不起訴、不成立なら略式の罰金で終わりでしょう。
なので確かに警察は動くでしょうがコメントの趣旨は「警察に行くような時代ではなかった」ということであり、警察が動くか動かないかを論点にしているわけではありませんね。
いい時代になったのか、それとも昔のほうがよかったのか?
いずれにしろ、人気絶頂の頃の広末涼子と付き合えるなんてこんな羨ましい事はない(笑)

除籍になっていた通信制大学に復籍しようと以前取り寄せていたパンフなどを見ていた。
あれ、やばい、申込期限が・・・
ジャックスの教育ローンを使うとなると実は申込期限が早かったのである(笑)
ということで取り急ぎ願書などを書いていたが、そもそも入学金などの学費を振り込んだうえで願書を提出するシステムなので、この場合教育ローンはどうなるのだ?
まず、ジャックスに願書などともに教育ローンの申請をする。
ジャックスから電話確認があり、審査に合格したのち、願書を大学に提出する運びとなる。
当該大学の場合選考料だけは振り込んだうえで願書を提出する。
私は自営業になるが、恐らく会社員の方などであっても金融事故がなければ(ブラック)でなければ審査は通るだろう。勤務先への電話確認などもない(多分)。
勿論保証人なども必要なかった。このあたりは審査否決の人でも保証人たてればOKなどとなるかもしれないが。
で、願書提出後、学費などは直接ジャックスから大学側に振り込まれる。
従って、大学側に教育ローンを使うなどの連絡は不要ということになる。ジャックスに申し込む前に願書を出す場合は願書のコピーか画像を保存しておく必要がある。それがジャックスへの申込に必要だからである。
私は時間がなかったためまずジャックスに申込をして、審査通過の言質をとってから選考料を振込んで願書を送付した。万が一審査落ちかもしれないことも考慮したのである。願書必着期限は明日である(笑)消印ではない。
ちなみにこの願書、振込票と一体となっており、写真も貼ってある。さらに裏面にはこれまでの学歴、および職歴を記載する欄がある。
ご想像のように時間がなかったため、すべて記入した願書を銀行に提出した(笑)
私のこれまでの経歴が女子銀行員の皆様に白日の下に晒され、給湯室での格好の話題になっていることうけあいである。
ま、どうでもいいさ。年食うと面の皮が厚くなるな(笑)

台風の風速予想をテレビでやっていた。
九州の地図上に各県の風速予想が出ていた。長崎70m、福岡60m、熊本、鹿児島、宮崎って佐賀はないんかーい(笑)
テレビ朝日と言えば昔ニュースステーションで佐賀は福岡の植民地とか、今では考えられないような事を報道していた前科のある局だから致し方ないか。
相棒を早く放送しやがれ(笑)

ようやくすれ違いができるような細い道を車で走っていると急に前を走っていた車がハザードをつけて路肩に停止。
なんだろうと思いつつ追い越して、後方を確認すると当該車両はすぐさま走り出す。
もしかして、煽られてると思って道を譲ったのか?
普段煽られる事が嫌な私はできるだけそう思われないように車間距離はある程度保つようにしているのだが。
そうすると丁度赤信号に停車すると左方に駐車場がありなんの気なしに左の駐車場を見ると、なんと当該車両の運転手がずっとこちらを睨んでいるではないか(笑)
そこで、私はどういうことか問いただそうと思いその駐車場の方へ車を進めると(ま、行く方法も行く方だが(笑))なんとその車両は逃げるように駐車場を回り出す。
しかも駐車場からは出ずに駐車場内を延々とぐるぐる周回している。
あほらしくなって用事を済ませに駐車場を後にしたのだが、恐らく当該車両の運転手は私があおり運転をしていると感じ、抗議の意味あいがあってじっとこちらを見ていたのだろう。
とは言え、よくよく考えてみるとこれがトラブルの元だとすぐに分かる。
もし煽られていると感じたなら単に路肩に止めてやり過ごせばいいだけである。
しかし、それでは怒りの矛先を納めることができなかったのだろう。
しかも、あの程度の運転で煽り運転とみなされるとするとほぼほぼどの車両も煽り運転になってしまうのではないかという車間距離である(時速40キロ程度10m弱程度しかあいていないので車間距離不足と言われればそれまでだが)。
昨今あおり運転が社会問題化し、あおり運転はよくないということが一般化した。結果あおり運転をするような輩は社会的制裁を加えねばならないといういわゆる自粛警察のような、あおり運転自警団のようなものが出来上がっているのだろう。
根底にあるのは正義感のように見えるが実はそうではなく、要するに自分の気に食わないものになんとかして制裁を加えたいがために社会的コンセンサスを利用しているだけに過ぎない。
言わば自分の欲求不満を解消するために他人の粗探しをし、ちょうどいい材料が見つかったくらいのもんである。
従って、このような事をしている人間は中高年以上の年代に多いと推察。
普通にまっとうに精神的に安定している人間からすればこんなことをやるのは、なんと無駄なことをやっているか悲しくなるに違いないが、情緒不安定な自分や社会に不満がある人間にはそれが見えない(私がそうだからよくわかる)。
しかし、冷静になって客観視して自分の行動を振り返るとホントにあほらしくなるものである。
1週間で1200件を検挙!! どこまでがあおり運転なのか?
上記記事にもあるように実はあおり運転を助長するようなあおられ運転をしている人も多い。
こういう人は自分の行動がまさか暴力を呼び込もうとは思ってもいない。
どんなことがあっても暴力は許されないという日本の常識は世界の常識か
根底にあるのはどんなことがあっても暴力は許されない→暴力をふるうやつは気の狂った一部の奴→ほとんど暴力なんか振るわれないというある意味性善説にたっているからであろう。
しかし、普段は大人しい人間でも釣銭の渡し方を注意されただけで相手を重体にするほど豹変してしまう場合だってあるわけである。
従ってそのようなリスクは常に存在すると思って行動することが重要なのである。
駐車場でじっと私を見ていたあの運転手は私が暴力を振るわないと思ったのであろう。結果として暴力をふるうことはなかった。しかし、次はないかもしれないのである。