今日の気になる日本語 ~ 発明とは一体どういうことを言うのか

   

台湾をオランダから解放した東アジアの英雄鄭成功の分霊が平戸にあるという。恥ずかしながら鄭成功なる人物は初めて知った。
鄭成功
どういう人物なのか調べているとウィキペディアに下記のような記載があり、気になる(笑)

柿右衛門様式の発展[独自研究?]

1660年代から生産が始まった有田焼の柿右衛門様式の磁器は、濁手(にごしで)と呼ばれる乳白色の生地に、上品な赤を主調とし、余白を生かした絵画的な文様を描いたもので、初代酒井田柿右衛門が発明したものとされているが、この種の磁器は柿右衛門個人の作品ではなく、明の海禁政策により景徳鎮の陶磁器を扱えなくなった鄭成功が有田に目を付け、景徳鎮の赤絵の技術を持ち込み有田の窯場で総力をあげて生産されたものであることが分かっている。

唐突に始まるので少し違和感があって目に留まったのだが、「初代酒井田柿右衛門が発明したものとされているが、この種の磁器は柿右衛門個人の作品ではなく、明の海禁政策により景徳鎮の陶磁器を扱えなくなった鄭成功が有田に目を付け、景徳鎮の赤絵の技術を持ち込み有田の窯場で総力をあげて生産されたものであることが分かっている」
この記述は独自研究とされているが、恐らく何らかの根拠資料があるだろう。検索してみると次の記事が目に留まる。

国姓爺が仕掛けたイマリ開発 -イマリはアジアへの輸出商品として誕生した-

関連のある部分を要約すれば、景徳鎮を作る事ができるような技術指導が唐人=鄭成功が行った可能性が高いらしい。あくまでそういう説であるが、確かに説得力はあるように思う。そこで改めて「初代酒井田柿右衛門が発明したものとされているにごしで)が、この種の磁器は柿右衛門個人の作品ではなく、明の海禁政策により景徳鎮の陶磁器を扱えなくなった鄭成功が有田に目を付け、景徳鎮の赤絵の技術を持ち込み有田の窯場で総力をあげて生産されたものであることが分かっている」を見てみよう。
この言い回しだとまるで濁手(にごしで)は少なくとも酒井田柿右衛門が発明したものではないような意味合いになる。
そもそも濁手(にごしで)とは何なのか?
「、柿右衛門様式の特徴とされる、濁手(にごしで)(米のとぎ汁のにごりに似た乳白色を呈する素地)に近似した、質の高い素地でつくられていることがわかる。この常識を覆す ほどの、画期的な素地の改良を実現させた原動力は、これまで歴史の闇に包まれたままであった、景徳鎮窯を追われた中国人陶工たちの存在であった可能性が高い(註7)。 https://www.gakushuin.ac.jp/univ/g-hum/art/web_library/author/arakawa/kakiemon_and_nabeshima/04.html
さて、もう一度気になった個所をみてみる。
「初代酒井田柿右衛門が発明したものとされているにごしで)が、この種の磁器は柿右衛門個人の作品ではなく、明の海禁政策により景徳鎮の陶磁器を扱えなくなった鄭成功が有田に目を付け、景徳鎮の赤絵の技術を持ち込み有田の窯場で総力をあげて生産されたものであることが分かっている」
柿右衛門の発明とされる濁手は個人の発明ではなく有田の窯場全体の発明
と言い換えていいだろう。
そして、それを促したのは鄭成功その人である、と言いたいことのようである。そうでなければわざわざこのエピソードを付け加える必要もない。
もっとも柿右衛門が濁手(にごしで)を発明したとの記述はざっと検索してもみられない。柿右衛門様式の特徴の一つとして濁手(にごしで)があげられている。
恐らく有田での技術革新は唐人たち抜きではなしえていなかったのだろう。仮に鄭成功がそれにからんでいたとしてもだからと言って柿右衛門が何もしていないことにはならないし、鄭成功が発明したことにもならない。
唐人たちの力がなければなしえていなかったにせよ、それを最終的に柿右衛門が確立したから柿右衛門様式と言われるのだろう。仮に唐人たちの技術協力があっても人や場所が変われば満足なものが出来なかった可能性もあるし、柿右衛門様式のようなものが出来なかった可能性もある。勿論、それ以上の物が出来た可能性もある。
有田の発展に鄭成功も一役買っているというのは推測できるが、鄭成功を持ち上げるために他をディスるような言い回しをする必要はない。

柿右衛門(かきえもん)の歴史と理念
ただし、
濁手(にごしで)磁器の作り方を知っていたのは柿右衛門一族だけである。濁手磁器とは乳白色
をした磁器のことで、その作り方は門外不出であり、柿右衛門当主だけが知っていた

濁手(にごしで)が有田全体でもし発明されたのならなぜ柿右衛門一族だけが受け継ぐのだろうか。唐人からその技術を直接教えて貰ったのが柿右衛門だけだったのか?それとも技術指導を受けながら濁手(にごしで)を成功させたのが柿右衛門だけだったのか?




 - 素朴な疑問