カテゴリー:おっさんの期間工日記
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目が覚めるたびに憂鬱で不快になる感覚はこちらにきても変わらない。
この不快な感覚は程度の差はあれ、どこに行っても常に付きまとっているように思う。子供の頃から感じている頭のなかにもやがかかっている感覚や、常に薄暗いところを歩いている思い出。どうにもスッキリした感覚になったことがない。どんなときもどんな場所でも自分がそこにいるようでいないようなバーチャルな感覚。
私はやはり生きているようで生きていないのかもしれない。いや、生きてはいるがそれは物理的に言えばそうなだけであって、人間の営みという点では人間的な生き方をしていないといった方が適切か。人間の営みというのは人と人との交わりだとつくづく思う。なんであれ人と人との思い出が人生を形作るのだ。それが欠けている私は人格形成においてやはり不完全なのだろう。従って、どこに行ってもどんなときも常に孤独感にさいなまれ不安や焦燥を感じているのだろう。だからといって人との交わりを求めているわけでもないのが厄介である。

赴任してから日記のように気づいたことをメモしているが、第三者が読むとこれを書いている人間は大丈夫なのかと思うに違いない。そりゃあこんな人間どこも採用しないのは頷ける。勿論採用面接では精一杯の嘘とハッタリで塗り固めるわけであるが、人間というのは隠しきれないその人の醸し出す雰囲気というものがある。
それに本当に精神的に危うい時は分かっていても嘘がつけなかったりするのだ。精神的に脆くなっているので念押ししてきかれたり、質問の仕方を変えられるだけでつい本音がでてしまったりする。
そういう意味では適性検査などで性格テストなどをかす企業は的を射ていると思う。
また長年社会と隔絶した生活を送っていると想定外の突発的事態にうまく対処できなくなる。特に団体行動しなければならない状況でイレギュラーな事態に遭遇すると必要以上に焦ってうまく対応できない。
こういったことも長年引きこもっていると自分自身が一番良くわかっているので、いざ引きこもりから脱却しようとする際に足かせとなる。
うまくやっていける自信がないのだ。
この時、健全な精神状態の人は考えすぎだとか、気にしなくていいとか思うだろうし、実際そうなのだが、要するに精神的に問題を抱えているというのは気にしなくてもいいことを必要以上に気にしたりすることなのである。
交通事故を減らすためには単に注意しようというのではなく、具体的にどのようなことに注意するのか指摘すべきであって、気にしなくていいと言われて問題が解決する人はそもそもそこまで深刻な状況ではないとも言える。

どうしてこうなった。
思えば高校に行かなくなった時から時が止まっているように感じる。高校に行かなくなった理由も明確にはわからない。ただその時はとにかく現状を変えたかっただけのように思う。その方向性が間違っていたのだ。
ちょっとした選択ミス、ボタンのかけ違え。
しかし、その後も方向転換するチャンスは何度となくあったように思う。それを棒にふったのは全て独りよがりの自分のせいなのだ。
常につきまとうこのモヤモヤした感覚は後悔によるところも大きいようだ。
そう言えば高校の担任に高校を辞めると言ったとき、後悔しないならいいが、と言われたことを思い出す。
何かをやる前から後悔を考えるはずもない。そういう面では担任に恵まれなかったといえるかもしれない。確かにあの担任でなかったなら高校はやめていなかったかもしれない。とは言え、高校をやめていようがいまいがあの当時の感覚のままであれば今と似たような人生を歩んでいただろう。思うに、根本的に私はどこか間違っているのだ。

今日は初日だが夜勤なのでまだ時間がある。周りが暗いと何をやるにも億劫になる。やはり太陽の明るさは人間にとって重要である。夏より冬の方がうつ病の発生率が高いというのも頷ける。過去の工場勤務を思い出すとき常に暗い場面しか思い出されない。確かに季節は冬だったし、朝早く出勤し帰る頃は既に夜という場合が多かったが、自分の精神状態が記憶の景色にフィルターをかけているのだろう。
他の様々な記憶についても同様に景色は暗い。
昨日は偏頭痛でもあったので3食カップラーメンであった。さすがにはらがへったのでシャワーを浴びて近くのコンビニに弁当を買いに行く。天気がいい。
朝9時にコンビニに行くのは一体どれくらいぶりだろうか。ここにきて、最初の4日は8時過ぎ位に迎えの車が来ていたが、そもそも朝行動をすること自体も昨年末以来で、更にそれ以前となると数年前の母親のデイケアへの送り迎えまでさかのぼる。月に数回でもデイケアに行くことは生活のメリハリをつけたりする意味でもいいことだと母親に言っていたが、実はデイケアが必要だったのはこの私だったという落ちである。
確かに、これから毎日自転車で工場まで通わなければいけないと考えると憂鬱ではあるが、かといってあの鬱屈した部屋のなかで毎日毎日pcを前にとりとめのないことを考え、感傷に浸り、焦りや不安に苛まれ、誰からも相手にされることのない生活を再び送るとなるとそれもまたウンザリなのである。
要するに何をやろうがどこにいこうが八方塞がりなので、引きこもってしまうのだ。

天気はいいが今日から夜勤なので朝飯を食ってからすぐに眠りにつく。2時間ほどすると階段を上る足音ですぐに目が覚める。ここは寮とは言っても民間のアパートを借り上げている。一般の入居者もいるようだが運の悪いことに上の階の住人は同じ班のようである。
私の人生においてはこのように運が良かった、ラッキーだったと思えることはほとんどない。こんなものである。今回は同期だった人が同じ班だったというだけでも希有な事例である。
いずれにせよ、運には見放されているといっていいだろう。これも恐らく自分が招いた結果だと思う。必ずツケは払わされる。人生におけるツケ払いの嫌らしさは、それがあのときのツケだと思わせない点にある。それを単に運が悪いと思わせられるので自分が招いた結果だとは気づかない。

さて、今日から業務開始ではあるが一体どんな想定外の事態に遭遇するのだろうか。具体的な仕事内容はまだわからないが、少なくとも立ち仕事かつ12時間勤務なので腰が痛くなることだけは想定できる。問題はそれに耐えうるかどうかであり、こればかりはやってみないとわからない。しかし、赴任数日前に部屋の整理をしていただけで腰痛になり、立っているだけでも辛かったことを思うとあまり期待できない。いや、無謀だったと言えるかもしれない。長く続けられるような仕事であればそれこそラッキー位に思っておこう。
なんせ、とりあえず一歩踏み出せただけでも良かったのだから。
このようなことを考えるときやはり体は大事であることを痛感する。イチローは言う。若くて体力のあるうちに挑戦すべしと。確かになにかやりたいと思っても体がついていかなければ話にならない。そういう意味ではイチローは人生の本質を看破しているのかもしれない。
年齢は関係ないと嘯く人はよほど才能のある成功した人か、まだ若い人か、何も本気で挑戦したことのない人だろう。

昨年度の年間シフト表を見ていた。これから半年もホントに働けるか自信がなかったが、考えてみたら半年なんてあっという間だ。
事実、去年1年、いやここ2年自分が何をやっていたかさえ思い出せないほどあっという間である。
年をとると時の流れが早く感じるが、子供の頃は成長速度が周りの流れよりも速いので相対的に時間の流れが遅く感じ、年をとると肉体的にも精神的にも停滞し時間だけが過ぎ去っていくかもしれない。
とは言え、嫌なことや辛いことをしなければならない時間は年齢に関係なく長く感じるのが世の常である。

配属される班と担当する作業も決まったようだ。とは言え実際にやってみないと何もわからない。
わからないこと、起こりもしないことを色々と考えてもどうしようもないので考えるのをやめる。
勿論、起きそうなことを想定しその事に対する対処方法などを事前に想定しておくということは必要なのだろうが、往々にして例えばきつい仕事だったらどうしようとか人間関係が悪かったらどうしようとか、それがひいてはそういうとこではやっぱり働けない、働きたくないからとなり、逃亡というパターンになりがちなので、そういうことを考えても仕方ないという意味である。
極論すれば、やってみてから辞めろということである。やる前からやめてしまう現状を打破するにはとりあえず一歩踏み出す事が重要なのだ。
工場勤務はとかく細々した決まり事が多いがここもご多分に漏れずうるさい。
以前はこういったことを聞かされるだけでうんざりし逃げ出していたが今回はそうでもない。
そもそも世の中で生きていくにはルールを守らなければいけないが、何かをやろうとするときにそこのルールが納得いかないといってやめるのは本末転倒なのだったと改めて思い知る。
このような認識を得られただけでも今回はまた収穫があった。

実際の業務開始まで4日も空いてしまうが何をするわけでもない。
そう言えば以前出稼ぎに行った時は休みの日に何をしていたのかさっぱり覚えていない。というより全般的に寮で何をしていたのかさえ覚えていない。疲れてすぐに寝ていたせいもあるだろう。
基本的に現地についたら翌日かそれくらいの期間で現場に放り込まれ、2ヶ月程度で辞めていたので現状をじっくり見つめ直すこともなかった。
しかし、今回は少し余裕があるのでこれがどのように自分に作用するのか。
いずれにしろ起きもしていない事をあれこれ考えなくなったのはこれからの人生にとってはプラスであろう。

4日目5日目は安全教育や導入研修であった。運良く同じ日に入寮した人が一人いて仲良くなることができた。
積極的に自分から話しかけた成果だろう。それだけでも今回は収穫があった。
導入研修では実際に工場の入り方や、食堂での食事の取り方などまさに手取足取りであった。
これは私にとっては大変ありがたかった。
昔はここまで細かく教えていなかったように思う。請け負い業者も洗練されてきているのだろう。
これまでの経験から細かいトラブル的なことも多かったのだろうと推測される。従って導入研修で一気に教えておこうという事だろう。
その方がいずれにしろ効率がいい。
昔はそれこそいきなり現場に放り込まれるので着替える場所さえよく分からず、とにかく周りの人を見よう見まねでやるしかないということがよくあった。私はこれが苦手でそんなことに頭をとられるのがいやで工場系を敬遠してきた面もある。
教育担当者さえ決まっていない事も多く、そうなると文字通り出社しても途方に暮れて、集合場所に遅れたりすればもっと早めに出社しろなどと怒られる始末。
見よう見まねで対応できればいいがそうそううまくいくことばかりではないだろう。人が多ければ多いほど問題も出てくるはずで長年やっていれば問題も蓄積されマニュアル化され一律に事前に教えておいた方が結局は効率がいいことに気づいたのだろう。
特にこの業界は人の出入りが激しい。人の確保はもとより人をいかに長く定着させるかも課題だ。人を頻繁に入れ替えるより一人が長く働くことがコストの面からも業績に直結すると言ってもいい。
昔は人の代わりはいくらでもいたから辞めたい奴は辞めればいい、最低限の待遇で我慢しろ、といった姿勢だったのが時代は様変わりし世の中人手不足である。誰も多少稼げる位では肉体労働系の仕事をわざわざ選択しなくなっている。もっとも当然肉体労働のほうがいい、あるいはそれしか仕事がないといった一定数の就業者はいる。しかしながら製造業は景気の良し悪しに大きく左右されるから、臨時、期間社員、アルバイトなどで調整することが必須となる。必要なときに必要な数の人間を用意できるこの業界はなくならない。
とは言えこの業界も変わりつつあるようで人を用意するだけの存在から下請け業へと変貌している。昔は業務請負とは言っても実態は単なる派遣であり、偽装請負当たり前だったものが適法、正常になっただけと言えばそうだが。
そうなると今までのようにとにかく人を送り込めばそれでいいというだけでは終わらない。
自分達がラインを任せられればいい加減な人間を採用したり、教育していれば結果として自分の首を絞めることになるのは明白。
人を頻繁に採用するよりは一人の人間を長く定着させた方がいいのは、教育採用コストなどの面から見ても明らかである。
以前は相部屋が主流だった寮も個室が当たり前になってきたり待遇面での改善からもそれは分かる。
昔の日本は本来人間にかけるべきコストを企業活動に回していただけなのだ。そのような目に見えにくい部分で日本の経済は支えられている面もある。そのような部分がどんどん取り除かれている今の時代、日本の国際競争力が失われているのも言わば必然ではなかろうか。そのツケが今払わされている。
なんであれツケはいずれ払うことになる。どんな形にせよ。

入社手続きを行う為に数名が会議室に集まる。
最近では面接以外でこのような団体行動をしたことはいつ以来だろうか。
団体行動は昔から苦手であることは変わりないが、他人と合わせて行動することができないのではなく、人と違った行動をとることへの恐怖心或いは羞恥心が団体行動から遠ざけていたのだったことに気付く。

それがふと分かったのは私の前に座っていた一人の男性が入社書類への記入ができなかったからである。
緊張しているのか手が震えてなかなか書くことができない。普通に考えて何も緊張する要素はないのだが恐らくそういうことなのだろう。
この状況を見たら即帰されるだろうと思ったのだが、こういう事が以前にもあったらしく手慣れた対応で一旦別室で書くことになった。
とは言え、世間一般の企業であればまだ雇用契約を結んでいない段階なので採用自体を見直すに違いない。
実は私も書類に何か記入する時に人から見られていると手が震えてうまく書けないことがあるのだ。
この症状が出始めたのは前の会社を辞めてからである。

昔国会の証人喚問で書類にサインする時に手が震えて書けない人がいたが一時的にでもそうなる人はなるようなので何らかの病気かというとそうでもないようだ。
しかし、私の場合は近年それが頻発するようになったし、元々人前で電話をすることが苦手であった。
例えば事務所のなかに数人がいて静まり返ったなかで自分一人が電話にでなければならないとすると自分に注目が集まっているようでそういう状況が物凄く苦手であった。なので転職する際もそういう状況になりそうな機会の多そうな職場は敬遠していた位である。

思うに、結局のところこれもある意味羞恥心や或いは自信の無さからきているのだろう。特に私の場合はそうに違いない。
年を取って無職になってから殊更酷くなり、それが一因で転職に踏み出せなかったこともある位なのでそういうことなのだろう。
社会に出るとスピーチやプレゼンなど人前で話すことが多くなるが、苦手という段階を通り越してぶるぶる震えたり汗を滝のようにかいたりする人もおり生活に支障きたす場合もあるようだ。
このような症状を総称して社会不安障害などというらしい。
紛れもない病気なのである。精神的な病の場合、病気かそうでないかの違いは日常生活に支障をきたすかどうかであると精神科医の方が言っていたが、そうであるとすれば様々な要因、理由により引きこもっている場合も精神病に当てはまる場合があるだろう。
特に収入もなくて働かなければいけない状況なのに本人も働かなければいけないと自覚しているにも関わらずその状況から抜け出せない場合は明らかにその精神病の定義に該当するのではないだろうか。
特に中高年の引きこもり、これを便宜上新型引きこもりと呼ぶことにするが、新型引きこもりの場合は働きたいにも関わらず働けず、働く意欲はあっても社会に復帰することが自力ではできなくなっていることが多い。引きこもりの年月が長くなればなるほど状況はより深刻になってくるのは明らかである。
そもそも、それまで普通に仕事をし社会生活を営んでいたものが、なんらかかのきっかけにより引きこもり状態に陥るわけであるが、その大部分は転職失業がきっかけであることは想像に難くない。
若い頃は失業してもその気になればすぐにでも仕事が見つかっていたものが、年齢を重ねるにつれて門戸が厳しくなっていく。ブランクが長くなればなるほど条件は厳しくなっていくわけだが、最大の問題は本人のモチベーションである。失業しても一定期間は貯金や失業保険で食いつなげているので焦って不本意な仕事につく必要はないと考えていたものがあっという間に数年たち、無職で無為な時間を過ごしたことに気づく。そのような状況下では友人や知人に合わせる顔もない。家族であってもそうだろう。そうやってどんどん疎遠になっていく。しかし、自分が引きこもりの初期段階に陥っていることに気づくものは少ない。まだ働く意欲、見方を変えれば働ける自信があるからであろう。
しかし、既に40超えの中高年にとっては楽観できる状況ではなく、求人に応募しても落とされる日々が続く。
こうなってくると段々自信が失われていく。経験職種であれば年齢に応じたスキルが求められるから恥ずかしい思いはしたくない。未経験職種であればそもそもやっていけるのか不安になる。
そのうち応募することすら躊躇するようになる。
生活するにはお金が必要だがそのうち貯金も残り少なくなってくる。お金がないということが精神的にどれくらい深刻な状況を与えるか身を持って知ることになる。
バイトくらいなら雇ってもらえるかもという淡い期待も正社員が見つかったらすぐに辞めらてもこまるのでと言って断られ、うちの職場は若い人ばかりですが大丈夫ですかと聞かれ自分から断ってしまう。
折角書類選考に通ったにも関わらず面接前にやっていけるか不安で怖じ気づき辞退してしまう。
久々に見つけたやってみたい仕事であっても自分には無理そうだ、やっていく自信がないと応募すらできなくなる。
そのうち自分が何がやりたいのかどころか、何ができて何ができないのかさえわからなくなる。
引きこもりという言葉をあえて使うまでもなく、また、中高年に限らずこのようなスパイラルに陥っている人は昔から一定数いて、世間一般では穀潰しと言われていたのだ。
傍から見ればいい気なもんだ。
しかし、当の本人は悠々自適の自由人ではなく、焦りと不安で頭がいっぱいで何をやっても手につかない、楽しめない軽いうつ状態だったりするのだ。
今でこそ引きこもりなどと社会問題と認知されているが昔なら単なる穀潰しで社会からは抹殺されていただけだろう。それこそ病院に行ってもなんの病名もつかない。病名がつかなければ日本の医者はほぼ役に立たない。どこにも助けてくれる窓口はないので、自力でどうにもできなければひっそりと闇に葬られるので社会問題化する余地さえなかっただけである。

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