洗脳を許す怖い思考

   

女子生徒の顔面にボールを複数回投げつける暴行か 高校のバレー部顧問の教員を再逮捕

この記事のコメントにこんなのがある。
善悪の話ではありません。私は約30年前小学校のバスケで全国大会で3位になりました。当時はビンタ当たり前でした。勝って当たり前で、チームは勝っても喜ぶ事もしなかったです。楽しくなかったです。楽しさを求めるなら勝ちを求めない。勝ちを求めるなら楽しさを求めない。その気持ちは今でも変わりません。なぜなら、ビンタされるかもという緊張感が結果的に技術を向上させたと思います。綺麗事言ってたら都道府県で1位レベルはいくだろうけど、全国トップレベルの結果は出ません。結果も出せない監督が暴力を振るうのが一番最悪です。極論本当に結果を出したいのなら怖い監督でなければ結果は出ないと思っています。監督が怖くなくても結果が出せる例外は、甲子園常連校等、自発的に勝ちたいと思ってスポーツをしている人達に対してです。これは社会でも同じで、向上心の塊を持つエリート集団の会社では怖い上司は必要無いと思います。

概ね批判の嵐ですが、そもそも言っていることが支離滅裂なことに気付きます。結論から言えば能力の低い集団には怖い指導者が必要という事になろうかと思いますが。
まず、最初のくだりで「楽しさを求めるなら勝ちを求めない。勝ちを求めるなら楽しさを求めない」と言い、「ビンタされるかもという緊張感が結果的に技術を向上させたと思います」と綴る。
楽しさを求め、かつ勝ちを求める事が両立できない理由はおそらく、ビンタされるかもという緊張感が生まれない→技術が向上しないからということなのでしょうか?
このロジックがそもそもこのコメントを読む大多数の人の違和感を生じさせていると思われます。
緊張感が伴わないと技術は向上しないという事が前提のようです。
次に「結果も出せない監督が暴力を振るうのが一番最悪です」と一見暴力否定のようにみえますが、暴力を振るって技術を向上させるのですから鶏が先か卵が先かと同じで堂々巡りのように思えます。
技術が向上しないから暴力を振るうのであって、結果として技術が向上しないのならやはり暴力は何の役にも立たないという事になりますが。
次に「監督が怖くなくても結果が出せる例外は、甲子園常連校等、自発的に勝ちたいと思ってスポーツをしている人達に対してです」という意見ですが、これは要するに元々能力の高い人間に対しては暴力なんか必要ないということだと思います。言い換えると能力の低い人間には暴力をもって能力を向上させる必要があるという事でしょうか。
しかし、暴力を使えば必ずしも能力が向上するとは言えないわけで(結果を出せない監督が暴力を振るうのが一番最悪だと自らそれを認めている)、また、暴力なんて使う必要のない能力の高い集団がいるわけで、結局能力の低い集団はいくら暴力を使ってもその集団には勝てないのではないか?
暴力を使うことによって緊張感をもたらすという意味は理解できますが、だからといって必然的に技術が向上するわけではない事は容易に想像がつきます。

こういう人が指導者層になると怖いですね。
びっくりしたことにこの方支店長になっているそうです(笑)

色々なコメントありがとうございます。私は小さな営業会社の支店長をやらせて頂いておりますが、根性論も言わないし本部に小言を言われても、全て自分の責任と思い部下を売る事、言い訳も一切言わない人間です。勿論上司から理不尽な事を言われてイライラする事もありますが、それを他人にあたること、態度に出す事もしないです。むしろ本部から人が良いのはいい事だけど、支店長として優しすぎる!とダメ出しを貰ってます。なので結果を出す為に手段は選ばないという事が出来ないという人間に育ちました。若い頃は理不尽な上司がいたので、こいつを黙らせてやりたいと思い、仕事を本気でしたら何も言わなくなり仕事の結果が出て数年後立場が逆転した事もありましたが、その時はパワハラ上司のお陰だと心から思ったので、仕返しをしてやろうなんて気持ちにもなりませんでした。反面教師ですかね。

「根性論も言わないし本部に小言を言われても、全て自分の責任と思い部下を売る事、言い訳も一切言わない人間です」
だそうです。
そりゃそうですよね。社会に出てから部下が能力が低いからって暴力はふるえないですもんね。
かと言って、能力を引き出すために言葉で指導する事もできない、いやこの方の考えだと意味がないのですから。能力が低い人間は結果的に放置するしかない。




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