おしんの嫁いびり問題に見える勘違い、ミスリード根拠なき推論

      2024/04/02

先日、youtubeを見ていたら、筑紫哲也(大分)武田鉄矢(福岡)タモリ(福岡)の3人が九州について語っている昔のテレビ番組をやっていた(著作権はどうなっているのかは知る由もない)。
タモリが昔、埼玉、名古屋、佐賀を散々馬鹿にしていたことは現代ではまるでなかったかのようになっている。いや、むしろいじってくれてありがとうみたいになっているのがこの国の自虐的国民性をよくあらわしている(笑)
今の若い世代の面白い点は、昔は否定されていたものを肯定する傾向がある点だろうか。タレントで言えばタモリや出川や江頭などなど。タモリは当初かなりキモがられていたし、その発言もとにかく自分の気に入らないものをこき下ろす。これはビートたけしの毒舌とは一線を画し、風刺や社会的なメッセージなどはなく、単に自分が嫌いなものやおかしいもの、ダサいと思うのの悪口を言うだけである。
タモリがもし今の時代にデビューしていたら、というよりテレビでに出ること自体難しいかもしれない。

埼玉や名古屋はなんだかんだ言って人口も多く、代表する都市は都会と言って差し支えないだろう。そのせいもあって軽く受け流すことができると言ってもいいかもしれないが、佐賀は正真正銘の田舎である。馬鹿にされると言ったレベルを超えて、哀れにさえ思われている。
実際、その番組では九州の中で可哀そうな県として佐賀と宮崎をやり玉にあげていたが、これはタモリ的にはかなりソフトな表現である。
この中で当時ブームとなっていた「おしん」に触れ、おしんが嫁として嫁いだ先で地獄のようなイビリを受けることを持ち出し、佐賀ならさもありなんのように言っていた。
さて、佐賀だとなぜ納得したのだろうか。その根拠はどこにあるのか?いやこれは批判ではなく、そのような九州人の意見をよく聞くため疑問に思ったのだ。
おしんの脚本家橋田壽賀子氏は朝鮮で生まれているが、九州で育ったわけでもなく、もしも佐賀の嫁イビリが酷いということを知ってこの脚本を書いたのであればそれは全国的に有名な話だったからではないかと思ったのである。
とは言え、おしん放送後にたとえそういう話が出たとしてもそれはおしんによってバイアスのかかった意見とも言えるのであまり信ぴょう性はない。
そこで、なぜおしんは佐賀に嫁いだのか?橋田壽賀子氏はどういう理由で佐賀を選択したのかということに強い関心を持った。
ドラマや映画で主人公が例えば出張する先にもっとも名前があがらないであろうベスト3にあがろうかという佐賀をなぜ扱ったのか?そこには明確な理由があるはずに違いない。もしかすると、佐賀は人口も少なく、もしクレームがくるとしても大都市よりは与しやすいと思ったのかもしれない、なんてことを思いながら検索をすると、

「おしん」嫁姑戦争舞台がやはり佐賀でなければならなかったのはなぜか
そうだ、「おしん」での嫁姑戦争は作者橋田壽賀子によれば「佐賀でなければならなかった」という。それは意地悪な姑が佐賀に多いとかではなく、おしんの夫・竜三の最期を描くため「夫は武士道(佐賀鍋島藩の「葉隠」)の流れをくむ佐賀の旧家の末裔でなければならなかった」そうだ。覚えている人もいるかどうか、夫は戦争中は軍の恩恵で羽振りが良かったが息子や隣組の若者達を戦争に送り戦死させた責任を取り自決するのだった。なるほどねえ。「おしん」についてはいろいろ調べていたがこの事実は私も初めて知った。2019年の日経新聞「私の履歴書」で初めて橋田によって語られたという。

なるほど、武士道と言えば葉隠か。そう言えば武田鉄矢が大隈重信は葉隠なんかを押し付ける佐賀県が大嫌いだったと当該番組でのたまわっていたが、葉隠のせいでとんだとばっちりを受けてしまう佐賀県民(笑)

結局、佐賀の嫁イビリはすごいとか、そういうのもなんだかボヤーっとしたイメージでモノを語っているに過ぎない。
誰かが根拠もなく言っていたことを、誰も調べずにそうだそうだと受け取ってあの人が言っていた、あの人がそう言うから、やっぱりそうだとなかばそれが常識化していく。
世の中は実はこんなことだらけである。まったくの嘘とは言わないが、根拠なく語られていること、誇張されて語り継がれている事、勘違いや、ミスリードを誘う表現。きちんと本質を見極めるようにしなければ間違った常識をみにつけてしまう恐れがある。
例えば日本人は手先が欧米人よりも器用である。それは食事に箸を使うからである。と言ったもの。そもそも本当に日本人は手先が器用なのか?器用か器用でないかの判断基準さえ危うい。仮に器用だとしてもそれは箸を使うからなのか?

怖い話である。




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