日本語がおかしいと言うと言葉狩りだと非難される風潮は正しいのか?

      2021/02/23

松山ケンイチの「嫁」発言に賛否 ツイッターのトレンド入り
茂木健一郎氏、「嫁」論争で持論「正直、苦手で嫌いな表現です」
最近自分の配偶者の事を嫁と呼ぶ男性が多くなっている。
茂木氏の指摘通り吉本の芸人さんたちの影響だろう。めっちゃ、など関西圏の言葉がもはや共通語のように浸透しているのは関西の芸人さんたちの影響が大きいだろう。
私も結婚している男性が自分の配偶者の事を嫁って呼ぶのになんとなく違和感を持ったことがあり、正しい使い方なのかどうか以前調べたことがあった(笑)
言葉の使い方を指摘するとたいがい逆に叩かれる傾向にあるのでイチイチ指摘しない方がいいというのを分かっているので指摘しないが(笑)
いずれにしろ言葉は変化するのでそういう逃げ口実という反論をされるのは目に見えている。
案の定ヤフコメを見るとほぼそういう意見ばかりである。
面白いのは茂木氏が多様性、多様性と言っているくせに嫁という呼び方を許容できないのはおかしいという意見。一見正論に見えるものの、嫁と言う呼び方を許容しない考え方も多様性の一つとして許容しなければならないということになりそうだが(笑)
これは屁理屈としてもこれら言葉狩りに対して反論する人はたいがい言葉は変化するとか、間違いを指摘する人はじゃあ完璧な日本語を使っているのかと言う。
ここで、言葉は変化するとしても正しい日本語と間違った日本語というものを指摘することは両立する話だと思うし、正しい日本語を知ったうえで変化していく日本語を使ってもいいわけで、なぜ正しい日本語の指摘を敢えて受け入れないのかと言えばそれは単なる負け惜しみだろうと思う。
また、間違いを指摘する人であっても完璧な日本語をしゃべっていないだろうという反論非難に対しては、完璧じゃないと間違いが指摘できないというのもおかしな話だし、仮に完璧な日本語を使っている人だったらその間違いの指摘を受け入れるのか、という話になり、あまり説得力のある反論ではないと言えるだろう。
いずれにせよ、自分の配偶者を嫁と呼ぼうが奥さんと呼ぼうがどっちでもいいわけで(笑)それに噛みついている事自体結構気にしてんじゃんというオチだろう(笑)
なんつって




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