What are you と What do you の違い

   

What do you do は職業を聞くときに使うそうだ。なぜだ? (笑)
何故What are you doではだめなのだ。
今何をしているか聞く場合になぜWhat do you doingではダメなのだ?

結論から言うと
do は 一般的な現在動詞に使い
are は 現在の状態をあらわすから
と言えそうだ。

そもそも、この動詞というものがなんなのか?動詞というからには動いている状態を表すようなイメージから今何をしているかを尋ねる場合にも使えるはずだろ!とネイティブジャパニーズは思うのである。
動詞というものは動いている状態を言っているわけではなく、ある意味誤解を恐れずに言えば、動いている様の名称とでも言えるかもしれない。
例えば「話す」は勿論話している状態を表しているわけではない。私は日本語を話す、或いは話します、という表現は今日本語を話している状態を言っているわけではなく、普段日本語を話していることを言っているのであり、この意味で習慣をあらわすなどと言われたりする。
そのように考えていくと、What do you do が職業を聞いていることになる、と言われるのだろう。ここで、では「What do you doing」ではなぜだめなのか?というと、まずdoingにしてしまうと今現在、そして今ここでやっていることを聞いてしまうニュアンスになるし、そもそも文法的にもdoは一般動詞としか一緒に使えないらしい。
ここで思うのが日本人が受ける英語教育はまず、この文法を勉強させられるのでdoは一般動詞以外とは使えないという事だけが独り歩きをしてしまいがちな点。
なぜ、そうなるのかという理屈の部分が抜け落ちているので文法さえも丸暗記になる。しかし、理屈が分かっていないから応用がまったくきかないので、日常ネイティブが使っているような英語で話されると途端に分からなくなってしまう。
従って、do you do と are you doing の違いについてもまず、do は動詞と一緒に使い、areは名詞形容詞動名詞と一緒に使うからという杓子定規な回答ばかりになって本質が分からないということになる。

do you と are you の違い

あなたは日本語を話しますか? Do you speak Japanese?
この場合doはあくまで疑問詞として使われているが、これは日本語にはない。敢えて言えば最後の「か」だろうか(笑)
なぜ、Are you speak にならないのかと言えば、日本的な回答ではAreと動詞はいっしょにつかえないからという言い方になるだろうか。
このような勉強の仕方だと一生英語が話せるようにならないことがよく分かる。
areはあくまでbe動詞であって、その人と続く言葉をイコールでつなげるものである。そうすると、話すという意味のspeakは一般的な行為を表現しているのでイコールでつなげるとなんとも変なニュアンスになってしまう(多分意味は通じるだろうが)。
これが日本語だとそもそも疑問詞的なものがなく、仮に「か」を疑問視だとしても語尾の「か」自体はどんなものにもつけられる。
しかし、「「好き」ですか?」と尋ねる場合は「話しますか」のますがですに変化する。このあたりがやはり海外の人には難しいのは日本人とも相通ずるものがある。

日本人が英語がまともに話せないのは、結局日本語自体がよく分かっていないのだから、英語を日本語に訳すことだってまともにできないだろうし、日本語を英語に訳すのだってうまくいかないはずである。
それに加えて英語を学校で教える場合に英語のロジックと日本語のロジックの違いをスルーしてしまうので表面的な理解しか進まない。
これはヒアリング能力が低いとか、発音が悪いとか、それ以前の話だろう。いくら発音がよくてもwhat do you doing などと言っていたら意味はない。

Boys Be Ambitiousは文法的にはあってるんですか??

Boys Be Ambitiousは文法的にはあってるんですか??
少年よ大志を抱け!と訳されるこの言葉。今までの流れからすると違和感(笑)
リンク先の問題提起はどういう理由かは分からないが、恐らく複数形なんだからareではないのか?ということだろうか。
私の違和感は命令形であるが、be動詞なので状態をあらわす。そうすると~~をしろというよりはそういう状態であれ、というふうになり大志を抱いている状態であれというふうになるのだろう。そうすると、大志を抱く或いは野望や野心を持つということではなくそういうものを持っている人になれ、と訳さなければならないのではないか?
Ambitiousは形容詞だという。形容詞は性質や状態をあらわすのでやはりそういう状態、要するに野心或いは大志を持った人間であれ!としなければならない。
抱くは動詞である。
ここでまた日本人が英語が苦手な理由がわかった。抱くのような動詞が英語では使われていないのに公式な日本語訳としても使われていない品詞がでてきてしまう。
意味が通じるからいいのではないか?という事と、英語を学習する際の勉強の仕方の話とはまったく別の問題だろう。
かつて江藤新平は民法をフランスから輸入する際に誤訳も妨げず唯速訳せよと言ったらしいが、これが実務的には合理的だとしても学習という面からみるととんでもない話であるのは明白である。




 - 海外とか, 素朴な疑問