これってワクチン後遺症?ワクチン3回目は絶対打たないと思った夜

      2021/12/13

昨日、録画していた日本沈没を見ていたらまた画面が見えなくなってくる。
片頭痛発症である。
ここ1か月で3回目。依然として耳鳴りは続いているし、一体どうなってしまったのか俺の体。
片頭痛日記を見返すと、一時体調がよくなり、3か月ほど片頭痛が発症していなかった事が分かる。
丁度コロナワクチンを1回目打った後で片頭痛が発症。そして、2回目打った日は高熱におかされ、それから約3週間後くらいに片頭痛発症。
その後約1週間でまた片頭痛発症。それくらいから耳鳴りがひどくなった。
コロナワクチンとの因果関係は当然私のような医学的ど素人に分かるはずもない。しかし、ワクチンを打ったあたりから体調がおかしくなっていることは明らかだろう。
そもそも論だが、因果関係があるとかないとか医学的、および科学的に分かるものなのだろうか?何をもって因果関係ありとか言うのだろう。
例えば風邪にかかって死ぬ人もいるが、直接の死因は風邪ではなく、風邪によって免疫が低下したとか、持病が悪化したとかの原因もあるかもしれない。この場合風邪が死因に因果関係あり、となるのだろうか?
法律の世界では因果関係とはあれなければこれなしとされ、ないものを付け加えたり、あるものを除外して考えたりはしないが、これだとその原因のみによって結果が発生したかどうかは実は分からない。その対象となっている事象がなければその結果が発生しなかったか?という観点だからその事象がなくてもその結果が発生していただろうという判断手法はとらないし、因果関係は分からない。しかし、本来因果関係は分からないのに因果関係なしと判断されてしまいやすい。
実際は、その事象がなかったとしても当該結果は発生することもあり、この場合、前述の考え方だと因果関係の判断自体ができないことになる。
つまりワクチン打ってなくても片頭痛発症してたでしょ?どうせ(笑)因果関係は分からないっすね、という事になる。
しかし、同時並行的に別の事象があってそれと相まって結果を誘発する事だってあり得る。
原因とされる対象の事象から結果が発生するかどうかを判断するのはある意味当然であるが、この方法だと実は適切に判断できない場合があることが分かる。
本来ワクチンを打たなかった場合に本当に片頭痛や耳鳴りが発症したかどうかをきちんと判断しなければならないのにこの点はほとんど無視される。
つまり、この因果関係の判断手法は当該事象なかった場合について結果が発生していない場合は明確に因果関係ありと判断できるものの、当該事象があって結果が発生した場合に本当にその「事象だけ」の原因かどうかは判断しにくいものと言えるだろう。
従ってより適切な因果関係の判断手法としては因果推論なのかもしれない。

因果推論とは
因果関係を分析する事例として、広告効果の推計があげられます。広告に接触することで商品(例えばエアコンやアイスなど)の購入率が上がったとしましょう。この場合でも、商品を購入したという「結果」が、広告に接触したという「原因」だけで、すべて説明することはできません。広告に接触したことよりも、店頭で安売りしていたことが影響したかもしれません。あるいは単純に気温が高くなったから買っただけの可能性もあります。

この場合、実際に広告に接触した人が「もし、接触しなかったら」どうなっていたのかを把握することで、因果関係を推計することができます。接触‘した’場合の効果と、接触‘しなかった’場合の効果を比較すれば、その差が因果関係の割合と考えられるのです。
言い換えると、「もし、◯◯だったら」どうなっていたのかを、いかに推計できるかが因果推論のポイントとなります。広告に接触した人が接触していなかったら、薬を服用した患者が服用していなかったら、政策の対象となる住民が対象外になっていたら、などを推計することです。

勿論この手法ももし~なかったら、という場合をどのように正確に推計するのかが問題となる。

ワクチン接種後に死亡している方や副反応と見られる症状に悩まされている方が散見されているが、どれもこれも因果関係なしかわからないで処理されている。
この場合、ワクチンを接種していなかった場合の推定は当然ながらなされていない。もっとも接種していなかったら、という想定がどのようになされるべきかは問題であり、ここが適切になされなければいかに因果推論が優秀な手法でも画に描いた餅であることは言わずもがなである。

いずれにしろ、片頭痛でうめきながらワクチン3回目なんか絶対打たないぞと心に誓った弱小ブロガーであった。
そもそも外に出ないじゃん(笑)




 - 片頭痛とか, 素朴な疑問