インパール作戦成功してたら英雄か~特定の個人に責任を押し付けてお茶を濁す

      2022/08/30

NHKの高校講座の歴史番組を見ていたらインパール作戦を簡単な理由とともに無謀な作戦と紹介されていました。
インパール作戦は険しい山などを含む500キロのほどの距離を食料などは現地調達して遂行するというものですが確かにそんなこと可能なのか?と思える作戦です。
実際失敗していますが。
気になったのは、その作戦に反対した部下を左遷してまで作戦を遂行した牟田口廉也の責任のように結論付けられていた点です。

組織として行動しているわけで、果たしてイチ個人だけに責任があるような描き方をわざわざする必要があるのか。
単に無謀な作戦として紹介すれば事足りるのにわざわざ作戦を立案主導した個人の名前を殊更紹介して、それに何の意味があるのでしょうか?
牟田口廉也がいなければこの作戦はなかったかというと実は同じような作戦が立案されていたという話もあります。
一個人の責任として片付けてしまう。そこに何の疑問も持たない日本人。作戦に反対した部下を左遷迄していますが、では作戦を認可した上層部は?
なぜ、このような無謀な作戦が認可され実行されてしまったのか?それをイチ個人の責任で終わらせてしまう。そこに本質的な問題があるような気がしてなりません。

確かに、牟田口廉也は愚将の典型のように言われる人物です。また、佐賀人をディする時にもよく使われる佐賀出身の人物でもあります(笑)

とは言え、最近はこのインパール作戦についても再考、再検証がなされているようです。
「愚将」牟田口廉也中将の遊興逸話の真偽
そもそも、一人で作戦は遂行できないわけでその作戦を承認したもっと上の機関があるわけです。それを個人だけの責任のようにしてしまうのがなんだか日本的だなと思っていました。
よく、批判されるのは部下が戦場で地獄を味わっているのに高級将校は後方で遊興にふけっていたなどですが、この際心情的なものはともかくとして、結果としてそれでも作戦が成功すればいいと思います。
勿論、そんな金と物資があれば前線へ送れという話になりますが。

悪い結果論と良い結果論

以前も結果論とは何かについて調べていましたが、結局のところそれは結果論だよと言う場合の結果論は、結果が出てそれについて批判している人に対してそれを諫める意味で使っている場合がほとんどですよね。
成功していたら一転して英雄扱いして神の如く崇め奉るのが日本人でしょう。無謀であればあるほどそうなりますよね。

さて、上記リンク先では牟田口廉也は当初インパール作戦に反対していたとありますがこれは恐らく21号作戦のことでしょうか。この21号作戦もインパール作戦のようなものですが反対などにあい実行されていはいませんね。
いずれにしろ、作戦自体の無謀さはともかく既に日本軍自体が「勝てなくなっていた」事も作戦失敗の要因の一つのようですね。
http://www.sky.sannet.ne.jp/ken-abe/rondan-2016-01.html

高級将校たちの遊興についてもそうですが、とにかく当時の日本軍の指導者層の酷さは目に余るものがあります。

支隊長(山本募少将)は尾根影の、そのあたりでは最も安全といわれた地点に横穴式の豪を掘り、周囲を幾重にも石で囲み、その前にテントを張って司令部としていた。

将軍は滅多に、この安全な「司令部」から外に出なかった。私が前線にあった二、三ヶ月の間に将軍が外に出たのは、確か一回だけだったように記憶している。

将軍は「司令部」から外に出ない理由を「将軍は危険を冒してはならない」「将軍は血を目にすべきではない。それによって憐憫の情を起こし、指揮統率にためらいが出るようなことがあってはならない」からという。

毎日、当番兵に谷底か水を運ばせ、ドラム缶の風呂に入った。

支隊長には四人の食事係がついていた。コックは捕虜のインド人、西洋料理を専門にした召集兵、日本料理を専門にした召集兵の三人。

少将と言えば高級官僚。頭はいいから理屈だけは逞しい(笑)官僚的思考、論法で議論しても恐らく煙に巻かれてしまうだろう(笑)

何だか現場を知らない勉強だけできる優等生が権力を持って机上の空論で戦争しているような・・・

ここはやっぱり織田裕二さんの出番です。

戦争は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!




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