どうした家康?学校では習わない日本史が面白すぎる件

   

視聴率があまりパッとしないNHKの「どうする家康」に結構ハマっています。
昔と違い今はインターネッツの時代(笑)ドラマを観ながら本当にこんな感じだったのか歴史検証をしながら、今までの歴史観を補正しつつ見ることができます。
歴史的事実と違いすぎるから子供には見せられない!などと憤慨している人がいましたが勿体ない話。
さて、こんな記事が「豊臣秀頼」家康が恐れた秀吉の血、桁外れの人気 謎に包まれたまま育ち母と自害した豊臣の後継者
確か、成長した秀頼を見た家康がこりゃヤバイと思ったとかなんとか以前なんかの本で読んだ気がします。
要は身長が高くイケメンで人気がでそう、豊臣政権盤石になるかもしれん。それだけで豊臣家を滅ぼしたわけではないでしょうが、やはり見た目って重要なわけですね。

関ケ原の戦い後なぜ豊臣家は直轄地が減らされたのか

この記事の中で気になったのが
「関ヶ原の戦いの直後、家康は秀頼の補佐役として、関ヶ原の戦いの論功行賞を行いました。そこで家康は豊臣家の直轄の土地を勝手に分け与え、自身にも大幅な加増を行います。これによって豊臣家は220万石から65万石、徳川家は400万石になりました。」
これまでの認識だと徳川家康が勝ったんだから当たり前だと思っていましたが。
実際は、関ケ原の戦いってのは形式的には豊臣家内部の争いで徳川が豊臣家に勝ったとかそういう話ではないですよね。なのになぜ豊臣家の直轄地が減らされてしまうのか?
そもそも論として関ケ原の戦いというのは天下分け目の戦いで石田三成VS徳川家康みたいに言われているのが実は違っているわけで、今まで漠然と持っていたイメージがどんどん変わってきています(漠然としているのでそもそも細かく知ってないわけですが(笑))

関が原の戦いの後、何故豊臣家は所領を減らされた(222万石→65万石)のですか?
●「太閤蔵入地」が諸大名に“分け与えられ”始めたのは、関ヶ原より前のこと
●当時、朝鮮出兵で多大な軍事貢献をしていた諸大名は、それに対してほとんど恩賞が与えられないことに不満を募らせていました
●家康は、政権のイニシアチブを握ると、「太閤蔵入地」を“恩賞”として次々に大名たちに分け与えて行きます
●もちろんこれは豊臣家を弱体化させる行為ですから、石田三成らからは強い反発が出ますが、恩賞をもらう方からしたら、豊臣家が自腹を痛めようが、恩賞は恩賞としてもらって当然のものですから、関係ありません
●あくまで家康は「豊臣家の家老」として、豊臣家のために忠節を尽くした家臣たちに、「豊臣家からの恩賞」を与えるという形を取っていた
●つまり、関ヶ原の戦いが勃発しなくても、「太閤蔵入地」が諸大名に分配されてしまって、すっかりなくなってしまうのは時間の問題
●この流れを何とか止めようとして決起したのが石田三成
●家康は今度は「関ヶ原で活躍した諸将への恩賞」という名目で、「太閤蔵入地」を全て一気に諸大名に分配
●「太閤蔵入地」は別に家康に没収されたわけではなくて、「豊臣家からの恩賞」という名目で、各大名に分け与えられた
●家康の実に巧妙な策略だったわけですが、それでも恩賞をもらえた各大名達にとってみれば万々歳
以上抜粋要約引用

豊臣家の為に戦ったから豊臣家の財産から恩賞を出させる詐欺師家康

さすが狸おやじ(笑)
豊臣家の内部争いで豊臣家のために戦って勝ったほうに恩賞を与えるという名目で豊臣家の財産から捻出させるという稀代の詐欺師(笑)

豊臣家の直轄地がなぜわざわざ太閤蔵入地というのか?という疑問から

直轄領を全国へ散在させた太閤秀吉の誤算
色々と調べると太閤検地の過程でこの太閤蔵入地も増えたとか。各地の大名にとっては不満もでてきますよね。なんせ自分の領地から言わば上納金を収めるような形になるわけです。こういった太閤検地などの実務を司っていたのが石田三成であり、そうすると不満の矛先も向かうのも当然か。

大義名分と言うまやかしの正論

勿論、こういう歴史の見解というのは一つの見方に過ぎないのでそういう側面があるとか、結果としてそうなったということもあると思います。
結果としてそうなったことを後世からみてまるでそういう目的で行われたみたいに結果論的に解釈してしまったりすることもありますね。
従って、その事実は事実として捉えて、それをどう評価するかはまた別問題と切り分ける必要があるでしょう。
今回の疑問で言えば、豊臣家の直轄が恩賞として配分されて減少した、という事は事実であり、それがなぜまかり通るのか、という部分も形式的に言えば正論とも言えるのであまり文句も言えないというのも事実でしょうね。
歴史ではよく大義名分というのが出てきますが、これって要するにそれをやる事の理論的根拠のことで(正しいかどうかはまた別)、理屈として正論であれば(いいか悪いかは関係ない)いいわけです。
極論すればそれって屁理屈でしょ、ということであっても力のあるものがそれをやれば必ずそれに賛同する人間がでてきて結果としてそれがまかり通り、最終的にはほとんどそれに従ってしまう。
理論というのは論理とは違い、人によってたくさんの理論がありえます。理論的に正しいとしてもそれはその理論で言えば正しいだけで、他の人が別の理論を持っている場合もあります。
つまり理論的に正論だからと言って、必ずしも論理的に正しいとはならない。このあたりを峻別しないといけません。

朝鮮出兵の恩賞として豊臣家の直轄地を分け与えるということに理論的正当性があるにしても、別に必ず恩賞を与えなければならないわけでもなく、別の形の恩賞もありうるわけです。
つまり、必ずしも間違いではない。従ってもしその考えに批判的で反対したいならそのこと自体を批判するよりも(そもそも間違いではない)代案を提示してこっちのほうがよくね?とアピールしたほうが良さそうだ。。。




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