人はなぜコメントをする前に個人的な意見とか感想と言いたがるのか

   

SNSなどのコメントで「個人的な意見ですが」とか「個人の感想ですが」などと前置きしてあるのをよく見かけるが、それは分かり切ったことなので余計なことだろうといつも思う。自分自身も個人的備忘録とよく使っているが、あれはこんなくだらない記事あげるなよとか、もう少しちゃんと記事書けよなどという批判に対しての勿論言い訳である(笑)

 

個人的な意見だと前置きしておくことで自分のコメントに対して何らかの保険をかけているつもりかもしれない。仮に間違いがあっても個人的な意見なので、と言い訳がたつと思っているのならそれは浅はかというものである。
間違いは間違いだからどうしようもない。むしろ、個人の意見ではなく、別のソースを示した方がまだ言い訳がたつというもの。
個人的な意見という言葉が一体何を意味しているのか?どういう意図で使われているのかイマイチ判然としなかったが、DaiGo氏の発言で理解する事が出来た。
「個人的な感想に間違いもクソもないと思うんで。これは別に個人の意見じゃないですか、それに対して謝罪っていうのは別に...」

デジタル大辞泉によれば感想とは「物事について、心に感じたことや思ったこと。所感。」とある。この定義からすると確かに感想には正しいも間違いもないという事になる。
そうなると、個人的な意見とか個人的な感想とあえて前置きしておくことによって批判されないようにしているという事なのだろう。

 

もっとも、個人的な感想はさておき個人的な意見は批判される場合があるという事になる。
また、感想などと言っているがその実、感想ではなく一定の考え方や意見の場合も多い。
要するに自分の意見を感想と言い換えて逃げ道を作っているだけの場合もある。
そもそも感想の定義の一つに所感があり、所感とは単なる感じた事だけではなくその先のところまで考えるというニュアンスも含んでいるように感想と考えや意見を明確に区別すること自体難しいとも言える。
好きとか嫌いとか面白いとかつまらないとか、感情だけをそのまま表現していれば感想であることは間違いないが、自分にとって役に立たないものは不要である、などと言うのはもはや感想ではないだろう。

 

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