パワハラでもスポーツ界では擁護される風潮

   

J2京都新監督のチョウ氏は”パワハラ事件”からの出直しをどう誓ったか?
パワハラ行為を行ったとして一年ほど資格停止処分を受けた同監督。
この手の話でよく目にするのが、慕っていた選手も多いから悪い人ではないとか、人によって合う合わないがあるといった意見。
このような意見を目にすると、ヤクザだって人によっては慕われている(笑)と思うのだが、おそらくヤクザとは全然違うという反論がなされるだろう。要は擁護するためにある一部分を切り取っているだけなのだが擁護している本人はそうは思っちゃいない点に怖さがある。
実績がそれなりにあると特に擁護論が多くなり、ある程度の厳しさもスポーツでは必要だとなり、時にはしごきや体罰容認論までまことしやかに出てくる。
これが当の指導を受ける選手側からもでてくることに不思議さと同時に怖さも感じる。
いつだったか、昭和世代のプロ野球選手たちにしごきや体罰についてどう思うかアンケートのようなことをやっているテレビ番組があったと思うが、確か7割くらいが容認だったと思う。むしろ、あれだけ厳しく指導してもらったから今の自分があると。
しごきや体罰を受けた当の本人が容認しているのだから他人がとやかく言うまでもない、という問題ではないのがやっかいだ。
それこそ、人によっては到底受け入れられないという人間もでてくるし、中には自殺に追い込まれる人間だっている。
同監督が実際どのようなパワハラ行為を行っていたのかは報告書にまとめられているらしいが、中には傷害事件まがいのこともあったとコメントにある。
しかし、コメントにあるような擁護論も根強い。
一年間の資格停止処分で罪を償って再起を図ろうとする人の足を引っ張るな的な意見は正論であるように見えて、ちょっと違う。
同監督の監督復帰というのはともすれば、実績さえあげれば多少の行き過ぎた指導であっても構わないという風潮を容認するような誤解を与えかねない。
勿論、きちんと謝罪をして今後そのような指導は行わないと明言しているし、新たに契約したチームもパワハラ大いに結構と言うわけがない。
しかし、コメントにもあるようにぬるま湯体質だったチームを、その多少行き過ぎた指導だったかもしれないが厳しい指導によって脱却したいのは間違いなく。結局、慕っていた選手もいるってことは人によってはパワハラにならない、指導方針にあうかあわないかの問題であって嫌ならやめて違うチームに行けばいいだけじゃないかと、パワハラ容認へとつながっていく。
何も同監督の社会復帰、人生の再出発の足を引っ張ているわけではない。
そもそもパワハラ込みの指導方針で実績をあげたわけで、その指導方針からパワハラを除いて一体どれだけの結果が得られるかは未知数と言えるし、指導方針全体が否定されたわけではなく、パワハラの部分だけが否定されたのだから指導者としては優秀だと果たして言えるのか疑問である。
確かにある部分ではよく、ある部分ではよくないというのは普通にある。
ある一つの出来事だけで全否定されるものではない。
しかし、パワハラ行為だけはやめて今まで通りの指導をやればそれでいいのかというとそう単純な話でもない。
もしも同監督が自分のやっている効果や影響が分かってパワハラ行為をやっていたとするならばパワハラだけはやめたとして(パワハラだけやめることができるか疑問だが)も、根底にある指導方針というのはなんら変わっていないということでもある。
逆に指導方針が根底から覆っているとしたらそれはもはや以前の監督ではないということにもなる。
いずれにせよ、別に監督に復帰しなくてもどこかの会社のサラリーマンになることだってできるわけで、なにも監督として復帰しなければ再起をはかれないわけでもない。
飲み屋で喧嘩をして資格停止処分になったわけではなく、その監督と言う職業に対しておかしいぞという判定を下されたうえでの復職だから疑問に思う人が多いのだろう。
意図的に、いやむしろ信念を持ってやっていたのだろうその指導方針が1年やそこいらでそう簡単に変わるものなのか。
そうそう簡単に変わるものならやはりそんな指導方針は取るに足らないものだったのかもしれない。そして、そんな指導によって職を追われたり精神を病んでしまった人たちがいるのも忘れてはいけないだろう。




 - 素朴な疑問