日本人サポーターの清掃ボランティアは日本人の美徳なのか?

   

舛添要一氏、W杯日本サポーターのゴミ拾い活動に異議「世界が評価しているという報道もあるが」

昔スーパーで働いている時に窓ガラスが汚れていたので拭いていたら、「そんなことをすると掃除のおばちゃんたちの仕事を奪うことになる」とまったく同じような事を言われたのを思い出しました。
確かに一理あるんですが、この理屈に対してはほとんどの人が反論すると思います。

しかし、よくよく考えると清掃の仕事を奪うからやってはいけないという事と、ゴミ拾いをして帰る事が称賛される事なのかを分けて考える必要があると思います。
スタジアムのゴミ拾いをするとか、日本代表がロッカールームをきれいに片付けることとか細かく見るとケースによって違いがあります。
自分の使った場所を元の通りにしておく、という行為と、他人が使ったところまで片付けるということは違いますが、いずれにしろこれを日本人の美徳として論ずる場合、ではなぜ清掃する必要があるのか?という点に行きつきます。
日本人サポーターは何もスタジアム全体を清掃しているわけではない、日本人サポーターのいたところだけゴミを拾っているだけという理屈は確かに清掃業の人たちの仕事を奪うという反論にたいしては成立するかもしれません。
しかし、それが美徳なのだとすると、ではなぜ日本人サポーターがいた場所にゴミが落ちているのか?という点に行きつきます。
本当に日本人全般がそのような称賛に値する高尚な道徳観念を持っているとするならばそもそもゴミを放置していかないはずです。
要するにこれは日本人サポーターの極一部の人たちがやっていることであり、それは称賛されることだとしても日本人全般がそうではないということです。
こんなことを言うと、誰も日本人全体が称賛されるなんて言っていないという意見もあるでしょうし、その通りだと思いますが、このような報道をみると少なからず日本人スゲーとひとくくりにして自画自賛のようになっている人もいるはずです。
やりたい人はやればいいだけ、というのはもっともですが、この問題の本質はゴミ拾いをすることを称賛している部分を殊更報道している姿勢であり、それを何も考えずに日本人スゲーと言ってしまう風潮だと思われます。
また、このような報道がされることによって日本人サポーターはゴミ拾いをする→ゴミ拾いをするのが当たり前となり→ゴミ拾いをしなければいけないとなってしまっている日本人サポーターもいるかもしれません。
例えば、どうせ後でゴミ拾いをするんだからと、日本人にゴミを渡す海外の人がいるかもしれませんね。
だからやらない方がいいとは思いませんが、様々な考え方の人がいるのも事実。
自分の出したゴミを持ち帰る事と、他人が出したゴミを拾う事はまったく別の話です。
自分の家の周りを清掃している人がいる、それが日本では当たり前だからという人がいましたがそれは自分の家の周りだからでしょう。いや、海岸を定期的に清掃している人もいる、といわれるかもしれませんが、そんな事は海外だって同じでしょう。
サッカーを観戦するためにお金を払ってスタジアムにきて、そのスタジアムのゴミを拾うという行為と海岸を清掃する行為をそもそも同列に扱えるのか?
この話結構奥が深いですね。




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