人は多かれ少なかれ違う自分がいるのかもしれない

   

「水曜日が消えた」という映画がある。
目が覚めるといつも火曜日の繰り返し。この手のミステリーはよくあるが、この映画は要するに事故による解離性同一性障害の話である。
面白い設定なのは各人格が目が覚めると曜日ごとに入れ替わっているという点である。
曜日ごとの自分が違う自分であり、曜日ごとの自分の生きざまがあり、違う曜日の自分のことが好きな女性もいたりするわけだ。
違う曜日の自分が好きな女性に恋をした自分は違う曜日の自分なのだ。

この作品のキモは最終的に特定の人格が他の曜日の人格を抹殺してしまう選択をする点にある。
解離性同一性障害系の話にはよく人格同士の争いが取り上げられるがこの映画も行きつくところはそこになる。
他の曜日の人格は現在の自分にとってはまさに他人である。自分の人生にとって不要、デメリットであると思われる人格は必要ない。

解離性同一性障害でなくても人は状況に応じて様々な人間を装っている。解離性同一性障害と違う点はそれを自ら選んで記憶しているだけに過ぎないとも言える。
そして、もしその中で自分の人生にとって一番メリットのある人格を選べてそれで生きていけるとしたらそれはそれで良いことかもしれない。
人生は選択の連続などと言われるが、もしあなたがいろんな人格を選べるとしたらどんな人格を選びますか。




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