通貨・貨幣とは何か?仮想通貨とリアル通貨の違いとは?まとめ

   

個人的備忘録です。社会の最下層に巣食う人生の終わりをもうじき迎えるおっさんの戯言なので華麗にスルーしてください。

通貨あるいは貨幣とは、時代や場所、或いは目的によって様々に定義されるが、現代的な通貨という意味では次の定義でいいだろう。

国家権力による裏付けのある債権債務の表象であり、自由に譲渡でき、決済手段および富の保存手段となりうるもの

従って国家権力によって強制通用力のないものは通貨とは言えない。事実上通貨のようにして使われることがあるものであってもそれはある意味電子マネーの利便性の高いものでしかない。いかに暗号資産が通貨のように使われると言ってもただちに通貨とは言えない。
資産価値があるからオカネだとか、価値が高くなってきたから通貨になったなどと言うのは小学生の発想でしかない。
その意味である国家から通貨としての信認を得たらそれは通貨となりそうだがそう単純ではないだろう。
ある通貨を採用している国、地域はその通貨が流通している域内の債権債務関係を通貨で表している。その意味で自由気ままに通貨を発行してしまうと経済は混乱をきたす。
従って適正に通貨の発行を管理しなければならない。現代ではそれは中央銀行が担っている。中央銀行は民間が運営するにしろ国家が運営するにしろ国家による承認があればこそ成立しているものである。
暗号資産がその管理権に服する事ができれば通貨たり得るが、その管理権の及ばないものである限り通貨とは呼べないことになる。
最終的に銀行の大元である中央銀行を通じて当該通貨の債権債務関係が処理されるからこそ通貨たり得るわけであり、そうでなければそれは通貨とは言えない。
もっとも、通貨の発行そのものを行わないのであればその管理権の一部あるいは全部を放棄しているので単なる決済手段としてだけで考えればいいことになる。この場合は通貨の発行、管理権を言わば放棄しているので当該国が通貨として承認するだけで通貨と言えるだろう。勿論、管理権のない通貨を採用することが経済に多大な影響(マイナス面も含め)があることは否めない。

貨幣、あるいはお金、或いは通貨、様々な呼び名があるが、要するにお金とは何かという議論は昔からある。
交換手段としての貨幣とか、あるいはマルクス的な労働の対価としてのお金。この場合のお金とは言わば労働を商品として見立てて資本家に売って得た対価ということになるだろうが、いずれにしろその一面しか見ていないことになる。
お金は腐らないし、減りもしない。お金がどこかに留まればたちまち経済は滞ってしまう。お金持ちはこのお金の性質を利用してお金を貯めこむ。
お金を貯めこんでいればそれだけで金利収入が生まれる。
資本家は労働者から労働という商品を買い生産しそれを高く売って利ザヤを稼ぐ。本来労働はもっと高く売れるはずなのに資本家はそこから搾取し、お金を貯めこむ。
労働者は労働を売って得たオカネで自分たちの作った商品やサービスを購入する。一見安そうに見えてもしっかり資本家はそこから利益を得ているというわけである。言わば自分の所有物を安く切り売りして加工させられて高く買い戻しているようなものであるが、誰も逆らう事は出来ない。
それがこの社会の仕組みだからである。
オカネもそうだ。この社会システムの一つに過ぎない。しかし、このシステムはこの社会の基礎をなすものであってこれなくしては現在の社会は回らない事を全ての人が意識的にせよ無意識的にせよ感づいているのだ。
オカネは単なる交換手段でもなければ、労働の対価でもない、ましてや一つの貨幣商品でもない。人々が一定の社会的信用を寄せる制度、システム、権力、そういったものの集合体がオカネという形で人々に分配されているのだ。
ある国で通用しているオカネ=通貨はその通貨を使っている人たちの共有物、共同財産と言ってもいい。ただ、その利用権が人によって違うだけである。
そういう意味でその国家全体の信用力=財力の裏付けがあるという共通認識で存在している。

この点仮想通貨はどうだろうか?
仮想通貨には中央集権的な管理機構は存在しない。むしろそれがウリになっている。国家権力の裏付けがなくても、それを使う人たちが信認していれば何も問題はない。当該通貨を使いたいと思う人が多ければ多いほどどんどんその経済規模は大きくなっていく。大きくなればなるほど信認する人も増えていくだろう。使いたくない人は使わないだけ。
それを通貨と呼ぼうが呼ぶまいが、国家が法定通貨にしようがしまいがそれは大きな問題ではない。
しかし、その経済規模が一つの国を凌駕するほど大きくなり、さらには別の通貨を使っている国を侵食するほどになったら他の国々はどうするだろうか?
仮に日本円が日本国内で流通しなくなり、人民元ばかりになるとしたらどうするか?

つまり、通貨と言うのは国家そのものと言っても過言ではないほどの力がある。となれば国家の統治権が及ばない、一つの国のようなものがどんどん肥大化していくことが果たして世界にどのような影響を与えるのか?

人間と言うものが完全無欠なものであれば、何も管理されていないそれこそ法律や国家さえない世界でもいいが、今のところ結局ある程度の管理下に置かれていた方がメリットの方が大きいだろう。

ある中米の国が法定通貨をビットコインにする。という事は詰まる所銀行間の決済にもビットコインが使えるという事だろう。税金の支払いもビットコインで行えるだろう。
ある富豪と銀行がビットコインを受け入れることにしたらしい。法定通貨は詐欺という理屈だが、その法定通貨、オカネのシステムで自らの富を築いてきたことを見過ごしているようだ。
銀行にとっては決済手段が法定通貨だろうが仮想通貨だろうが究極的にはどっちでもいいだろう。仮に法定通貨というものが全て国家権力のコントロールの及ばない仮想通貨、暗号資産に置き換わったとしても経済はそれなりに回るのかもしれない。
人々の信用を適切に評価でき、信用と責任があるところに安全に保管できるのであれば。
信用不安が起きればこれまでは国家が金融機関を救済し事なきを得てきたが、国家の管理が及ばない仮想通貨が趨勢を占めた場合一体どうなってしまうのか?
価格がどんどん上がるから、これからもっと上がるからと言って貨幣を保有するのは本来おかしな話である。何もしなくても貨幣がどんどん上昇するのはデフレである。
仮想通貨を使う人がどんどん増えればそれだけパイは大きくなるが、同時にその通貨の価格がどんどん上昇していくとしたら一体どうなるのだろうか。
いや、上昇しているうちはまだいい。もし価格が下落していくとしたら?
朝起きたら貨幣の価値が10分の1になっているとしたら。貨幣の価値が10分の1ということは見方を変えれば物の値段が10倍になっているということである。
貨幣の流通量が極端に減少しているわけだがこの時、政府は何ができるのだろうか?仮想通貨自体は増やすことができない。価格もコントロールできない。
確かに法定通貨は問題もあるかもしれないが、仮想通貨もまた問題があると言えるだろう。




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