駄目おやじのバラードロスト・イン・ザ・サンとパーフェクトワールド

   

この映画の感想にこんな記事がありました。

それこそ引き合いに出されている「パーフェクト ワールド」の衝撃、泣き要素があるわけでもなく、せっかく引っ張っている“秘密”に関しても驚きがない。せめてあの“秘密”はラストカットのあの“写真”まで伏せても良かったかも?勝手に映画紹介!?

そう言えば昔テレビで見たパーフェクトワールドってちょっと感動したような覚えがあります。でもケヴィン・コスナーの映画って最近はケヴィン・コスナーによるケヴィン・コスナーの為のような映画が多いという印象でパーフェクトワールドも、感動するだろ?え?ドヤドヤみたいな感じを受けました。
クリントイーストウッドの監督作品があまり好きではないからかもしれませんが。
ロストインザサンのほうが強烈な印象を覚えたのはこんなセリフがあったからです。
「あんたは人生を生き抜くガッツがない」
少年と逃避行の最中にナイスバディ―の子持ちの女をゲットし、その女から実家に好きなだけ居てもいいわよと言われても、
俺らはお暇した方がいい、みたいに拒否ってしまう場面で言われてしまうセリフです。
まさに図星、ぐうの音も出ません。
失敗ばかりしてきたのは誰のせいでもなく自分のせいであり、まともに生きる勇気がない。それがこの映画の主人公ですが一晩二晩一緒にいたくらいの人間に見事に言い当てられてしまい、めちゃくちゃへこみます(笑)
つまりこの映画、感動ロードムービーではなく、社会不適合者の末路を描いているのでその点勘違いしてはいけません。
多分普通の人生を歩んでいる人にはまったく分からない感覚かもしれませんので、その点単なる感動ロードムービーを期待して観た観客にとってはかなり退屈に映るでしょう。
若い人なら猶更そうだと思います。希望に満ち溢れ、自分にはなんでもできると思っている若い世代からすればまったく理解不能。
しかし、ある程度年を食った中年男なら少なからず共感できる部分があるでしょう。特に人生うまくいっていない人はそうかもしれません。
ということで商業的に成功するのはやはりパーフェクトワールドになりますね(笑)
そこで気になったのがエホバの証人です。当時は勿論知りませんでしたが、パーフェクトワールドで逃避行をする少年はエホバの証人の2世という設定だそうです。

ケヴィン・コスナーと一緒に旅をする少年は普通のアメリカの少年が経験するような楽しみを経験していないので出来るだけ楽しみを味合わせてやろうとするわけですが、そういった点も当然感動に一役買うわけです。
とは言え、なぜエホバの証人である必要があったのか?
なんと、ケヴィン・コスナーの奥さんがエホバの証人だそうで、ケヴィン・コスナー自体は反エホバの証人ということらしいです。http://kiyokutadasiku.seesaa.net/article/394700393.html

翻ってロストインザサンですが、パーフェクトワールドのような劇的な展開はないと言えばないかもしれません。
自分の駄目さ加減を薄々感づいているものの、その現実から目を背ける。それこそがまともに生きていけないということなのかもしれません。
誰のせいでもなく自分のせいで人生がうまくいかないことも分かっている。
そんな生き方がやめられない。わかっちゃいるけどやめられないのです。
しかし、確かにそういう人種が世の中には存在するのです。そのような人種はマイノリティーかもしれません。
そんなマイノリティー目線の映画を作ったってそりゃヒットしませんよね(笑)
そのマイノリティーだからこそこの映画が好きなのかもしれません。

なんつって




 - 動画とか ,