今日のヤフコメ~日本人は意地悪なのか問題

      2024/01/02

日本経済、低迷の元凶は日本人の意地悪さか 大阪大学などの研究で判明
なぜ日本ではGAFAのような企業が出てこないのかとか、イノベーション企業は日本では無理とかよく言われますね。
例えば日本でウーバーみたいなことやったら経営者即逮捕でしょうし(笑)、エアビーだってそうでしょう。日本は規制多くて強すぎるからみたいに言われますが、それだけではなく一般消費者だって当初こういった業種に対して批判的な事を言う人が多かったと思います。
日本が経済大国みたいに言われていたのも実は時代が丁度そういう時代だっただけで、人口などの規模から言えば当然そうなるだけであり何も特別なことじゃないとも言えそうです。
実際1995年頃からまったく経済の規模が大きくなっていませんね。バブルのころイギリスなんかの経済が低迷しているって話を聞きましたが、この20年程度欧米各国はちゃっかり成長しています。
とは言え、GAFAみたいな企業は日本どころかアメリカ以外の先進国でも誕生していません。別にイノベーション企業なんかなくたってそれなりに成長はできるわけです。
上記記事では日本では新しいことをやろうとする足の引っ張り合いをする、などと大衆の賛同を得そうな事が書いてありなるほどなと思わせますが、別に新しい事をする必要はないわけです。
内需がそれなりにあるのに内需が伸びないというのも変な表現ですが、イノベーションによって内需を喚起するという意味ではそうかもしれません。しかし、比較に出されているイギリスではどうなんでしょうか。イギリスは意地悪な人が少ないからそれなりに成長を維持しているということでしょうか。
日本人は意地悪かどうかは置いておき、記事にある「日本人は、他人を他人と割り切れず、互いに相手の行動を邪魔しているわけだが、この実験結果は身近な感覚としてよく理解できる」というのは確かによく理解できます。
しかし、この事となぜ内需が伸びないのか?というのが直接因果関係があるのかはよく分かりません。他人の足を引っ張ると消費がなぜ伸びなくなるのでしょうか。他人がモノを買おうとすると色々といちゃもんをつける感じでしょうか。
そもそもこの記事もイチ経済評論家の方が様々な研究結果から日本人は意地悪だから内需が拡大しないかもというそれこそ思いつきを言っているだけでなんですね。大阪大学の研究が日本人は意地悪だから経済成長しないとか論文で発表しているわけでもないようなのでその点は注意すべきでしょう。

※追記
と、思っていたら新年早々以下の記事が

日本人は「世界一礼儀正しい」が「世界一イジワル」だった…「自分の利益より他人の不幸を優先する度合い」を測る実験で「日本人ダントツ」の衝撃結果
日本人が意地悪であるということを、大阪大学社会経済研究所はあるゲームを用いて科学的に証明した。そのゲームのルールは次の通りだ。なお参加者は筑波大学の学生である。

 ペアになり、双方で10ドルずつ所持し、それぞれカネを出し合う。出した金額の1.5倍を互いに等しく受け取ることができる。例えば、双方が10ドルずつ出し合えば、最終的に手元に残る金額はともに30ドル。片方が0ドルで、もう片方が10ドルならば、前者が25ドル、後者が15ドルとなる。ともに1ドルも出さなければ、双方の手元に10ドルが残るだけだ。

 このゲームを行った京都先端科学大学特任教授の西條辰義氏が解説する。

 「このゲームでは相手がどの金額を出しても、自分は10ドル出すことがベストな戦略になります。出した金額の1.5倍は確実に返ってくるからです。しかし、10ドルよりも少ないおカネを出すことで、自分のもらうおカネが減るものの、相手よりも多くのカネを得ようとしたのです。この結果に驚きました」

記事はさらに

同じようなゲームを日本の筑波大学と都立大学、アメリカの南カリフォルニア大学とパーデュー大学で行い、異なる文化圏でどのような変化が出るかを調査した。

 今回は金額を出す前にまず投資への参加、不参加を選び、それを表明するというルールも追加した。この結果、相手が不参加で、自分が参加となった場合、自分の拠出する金額を抑えることで、想定の相手の取り分を半分以下にまで減らす行動を取った。つまり、損を承知で相手のタダ乗りに制裁を加えたのだ。

 ゲームの経過や利得に関する具体的な数値は煩雑なため省略するが、このゲームで日本人のほうがアメリカ人に比べて明らかに意地悪な行動を選びやすいということが分かった。自分だけ参加を表明したとき、ほかの不参加者の利益を下げるため投資額を下げる選択をした人の割合は、南カリフォルニア大学では12%なのに対し、筑波大学では63%。都立大学とパーデュー大学の比較でも同じ傾向が見られたという

これをもって結論として

「日本人は自分がもっとも得をするようには行動せず、自分が得をすることよりも、相手のタダ乗りを許さずに、少しでも相手の足を引っ張ろうとする傾向があります。こうした経験をしてしまうと、タダ乗りを狙っていた人も次回からは参加せざるを得なくなる。したがって、日本の社会では、みんなが仲良く協力的に事に当たっているのではなく、協力しないと罰を受けると分かっているから協力せざるを得ない社会だということが示唆されます」

“日本人は特にいじわる”とデータが証明?行動経済学が明かす「スパイト行動」
ペアになって2人で対戦するゲームです。あなたも相手も10ドルずつ所持しており、そこから0~10ドルまでの間で、任意でお金を出し合います。そうすると、「出した金額×1.5」分のお金をあなたも相手も等しく受け取ることができます。例えばあなたが10ドル、相手も10ドル出せば最終的に手元に残る金額は(あなた:30ドル、相手:30ドル)となります。あなたが0ドル、相手が10ドルならば、結果は(あなた:25ドル、相手:15ドル)、あなたが0ドル、相手が0ドルならば、結果は(あなた:10ドル、相手:10ドル)です。ゲームは10回×2セット行われます。

確かにもっとも合理的なのは常に10ドルを出し続ける事だろう。にもかかわらず少なめに拠出するのはなぜか?
それは日本人が意地悪で相手に儲けさせたくないから・・・ということになっているが果たしてそうなのか?
なぜ常に10ドル出し続けることがもっとも合理的なのか?それはこのゲームの全容を理解していなければ分からない。仮に相手が常に10ドル出し続けてもし自分がゼロドルだったらぼろ儲けである(笑)
つまり、常に10ドル出し続けることは合理的ではあるが、必ずしも利益が最大化できるわけではない。
相手に儲けさせることが嫌なのではなく、何が自分の利得を最大化させるのか、或いはどの戦略がもっとも合理的なのかが分かっていないからではないだろうか?
仮にお互い7ドルをだすと、手元に24ドルずつ
相手がゼロドル自分7ドルだと相手20.5ドル自分13.5ドル
相手が6ドル自分7ドルだと相手23.5ドル自分22.5ドル
利得を最大化するのではなく、相手よりも利得を多くするという目的なら相手よりも少なく賭け続けなければ勝つことはない・・・
つまり目的によって賭け方が違ってくる。
ただ、参加するか不参加するか最初に宣言してからというルールが追加されている。

最初の5回までで、自分がひとりだけお金を出すことになったとき、参加者がほかの不参加者の利益を下げるためスパイト行動を選んだ(先の例の場合9ドル以下の投資額を選んだ)割合はUSCでは12%なのに対し、筑波大学では63%でした。同じ傾向は都立大学/パーデュー大学の間でも見られたといいます。

相手が不参加の場合、自分も不参加だと両者取り分無しだが、自分が5ドルだすと相手が17.5ドル自分12.5ドルとなる。
本当に相手に儲けさせたくないとするならば自分も不参加を選ぶのではないか?仮に9ドルをだすと相手は23.5ドル、自分は14.5ドルとなる
自分がだした分だけ相手の残金が増えてしまうことはすぐに分かる。とは言え、不参加を続ければ取り分もない。
そうすると、自分の取り分だけ増やそうと考えるなら全額出し続けたほうがよいこともすぐに分かりそうだが、そうしないのは要するに相手に儲けさせたくなからである、ということのようだ。
この実験の巧妙な点は「自分が出した分だけ相手が自分より儲けてしまう」という点にある。
確かに相手よりも取り分を増やすのか?それとも最終的に残金を最大化するか?ゲームの目的によって結果が違ってきそうだが、相手が不参加と分かっているのだから、自分がどうするかにいずれにしろ委ねられている。
もしも、ゲームの目的が相手より多くお金を残すのなら相手が不参加と分かっている場合にそもそも参加するわけがない。
相手の取り分はどうあれ、自分の取り分を最大化するのが目的の場合、相手が不参加だと10ドルだしたほうがいいのは明白。

ゲームの目的によってその行動は大きく異なることが分かる。

一方、筑波大学の場合は最初は40%程度に過ぎなかった参加率が上昇を続け、13回目以降は80%を超えました。この結果を受けて研究チームは“スパイト行動が参加の強制につながっている”と推察しました。

ゲームの参加者がスパイト行動を取ることで、不参加者が得られるはずだった金額は目減りします。それが続けば「自分もお金を出した方が結果として得られる金額は増えるんじゃ……」という考えが浮かびます。そうして参加者がどんどん増えていったという流れが筑波大学のデータから読み解けるのです。

もともとスパイト行動の実験は公共財への支出を想定して実施されました。例えばある市でみんなでお金を出し合って橋を建てるとします。罰則がなく、橋も問題なく使えるとなればお金を出さず、公共財にフリーライド(ただ乗り)する人は出てくるでしょう。しかし、お金を出さない人が多ければ、他の人も支出を出し渋り、結果としてボロボロで安全性が危ぶまれる橋が建造されるとすればどうでしょうか?フリーライドをもくろんでいた人も仕方なくお金を出すことになるでしょう

このように“スパイト行動”はある種の同調圧力として機能し、結果として平等な負担を実現するのです。よく“日本人は協調性が高い”といわれますが、それはこのようなメカニズムが歴史を通じて受け継がれてきたからかもしれません。

つまり、この理論はお金をだしたほうが自分の取り分も増えることを証明しようとするものだろう。
必ずしも相手との相対性において自分が勝つのがゲームの目的ではない。しかし、参加者が相手よりも勝とうとするならばそもそも理論の前提が間違っていることになる。
理論が理論として証明されるには、ゲームの目的が自分の取り分の最大化であることを知らせておかなければならない。
とは言え、仮に何も知らされずに参加したとして、国によって顕著な差が出たとしたら確かにそこに何らかの要因、国民性や文化の違いなどが見て取れるだろう。

もっとも、ゲームの目的を知らない場合になぜ日本人は自分の取り分を少なくするのか?アメリカでは自分の取り分を多くするのか?とも言える。
相手との勝ち負けを考えるとそもそも参加しないほうがよくなるから取り分が少なくなるような方向で動き、アメリカではゲームの目的がどうあれ自分の取り分を増やすように行動するとも言える。日本人は他者と自分を考えて行動し、アメリカはとにかく自分がどうなのか?という自分優先の社会である、と解釈することも可能となる。




 - 素朴な疑問