チカーノになった日本人を見ると反社が蔓延る理由が分かる

   


あまりにも暇すぎたのでネットフリックスでチカーノになった日本人を見てみました。
もっとも残り10分余りを残して観るのをやめましたが。
アメリカの刑務所でどのようにして生き延び、さらにはチカーノと呼ばれるようになったのか具体的なエピソードがもっと聞けるかと期待していたのですが、前半は昔の武勇伝、そして後半は現在の活動内容だったので少し期待外れだったのが理由です。
レビューを見るとやはり、反社を美化するなというものがありますね。個人的にはそこまで美化してはいなかったと思いますが、他方そういったレビューに対して美化してはいないという意見が逆に気になりました。
以前の兄弟分や仲間と語る時、恐らく都合の悪い部分は語っていないか編集でカットされているはずです。彼らのような人種は基本的に話を誇張していう人間が多く、どこからどこまで信用していいのかは分かりません。これは嘘を言っているとかそういう事ではなく、彼らと付き合うときは細心の注意を払わなければならないという事です。

KEIさん達は半グレや今のヤクザと違った最後の任侠世代だったのではないかと思います

さて、任侠とヤクザ、或いは暴力団、反社、どのような違いがあるのか私にははっきり分かりません。
例え堅気に直接手は出さなかったとしても覚せい剤やコカインで被害を受けるのは確実です。
自分の仲間や家族を大切にするのは当たり前であり、特に彼らの世界ではそれが重要です。現に刑務所の中では一人で生きてはいけなかったでしょうね。だから仲間を大事にするのは必然でしょう。
逆に仲間以外に対してはどうでしょうか?
この作品が殊更反社会的行為を美化しているとは思いませんが、結局KEIさんを善人として捉えている点で同じではないでしょうか?
現在やっている活動は確かに称賛されることだと思います。昔の行為によって今の活動が否定されるものでもないでしょう。
ということは逆に今の活動が昔の行為を帳消しにするものでもないでしょう。
結局自分らは運が良かっただけ、という兄弟分。その言葉に集約されていると思いますが、この映画の主人公のように幸せな引退後の生活を送れる人はほとんどいないでしょう。KEIさんを称賛する人からするとこれは彼が本物だからということになりそうですが。
反社の人間とは違うとか、この人は本物だとか言っている人こそなんだか薄っぺらだと思うのは私だけではないでしょうね。
ホーミーブランドを立ち上げたりして、やっていることはアメリカのマイクを持ったギャングスタ―と大して変わらないような気がしないでもない。
日本でもすでに似たような兆候が出ていますしね。悪ければ悪いほど金になるのは洋の東西、今も昔も変わらないのかもしれません。
確かにヤクザや反社を美化してはいないかもしれませんが、若いころは好き勝手して、アメリカの刑務所で箔をつけて帰国し、今では地元の名士で若くてきれいな外人の女を嫁に貰うというストーリーに憧れる若者がいてもなんら不思議ではない。

映画の冒頭に子供たちにKEIさんの印象をきくシーンがある。
みんな異口同音に優しいという。これを聞いて、あの人はヤクザだけど普段は優しいよ、と言って騙されていった人たちを思い出す。
勿論KEIさんが騙しているというつもりは毛頭ありませんが。
この映画のレビューをみると世の中そんな人が多いのだろうとつくづく思うのであった。




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