江戸時代は本当に良かったか?捨て老人捨て病人、姥捨て山は捏造なのか

   

以下備忘録なので華麗にスルーして下さい。

NHKの知恵泉で江戸時代には捨て子や捨て老人、捨て病人が横行していたという話がサラッといわれていたので少し驚きました。江戸時代はとても豊かな時代だとか、江戸時代はとてもいい時代だったなどと言われることが多いので本当なのか検索してみました。

実際捨て子は多かったようで当時は簡単に捨てていたようですね。今と価値観が違うので一概には言えませんが、酷い・・・それに加え捨て老人に捨て病人です。
江戸時代は良かったとか言う人は誰を基準にしているのでしょうか?町人でしょうか、武士でしょうか、農民でしょうか?長男以外は奴隷同然みたいな話もありますし、いいとこだけ切り取って都合よく解釈しているだけなのかもしれません。

さて、ここで検索していて姥捨て山というのが本当にあったかどうか結構議論になっていることが分かりました。
結局のところほぼ推論にならざるを得ないわけですが、姥捨て山は存在していなかった派の推論の根拠としてあげられていたのが
「昔の村落共同体では老人が捨てられていた」という伝承は、明治以降の創作かもしれない。

①棄老伝説は「かつては老人を捨てる風習があったが何かのきっかけで今はやっていない」という形式であること
②そもそも高齢者は少数であったこと
③農業主体の生業形態の場合、老人の手を借りる作業は数多くあったこと
④一定年齢で死を強いるという制度は、社会的に成立し難いこと

以上の4点でした。
1つずつ論破できるような内容ですが、別に肯定派でもないのでご紹介にとどめておきます。
ここで注意しておきたいのはそのコミュニティにおいてある程度制度化されたものとして定着しているものと、各個人が勝手にやっていても黙認されているものと区別して考えるべきである点でしょう。

そもそも江戸の町では捨て老人や捨て病人が数の大小はあるかもしれませんが現実にあったとしてもそれが江戸幕府によって制度化されてやってよいとされているわけではないでしょう(禁止もされていないのかもしれませんが)。

精度として確立していないからと言って捨て老人などなかった、とは言えませんよね。
これを姥捨て山に当てはめてみると一定の年齢に達したら必ず老人を捨てる、などと言った制度はなかったものと推察されます。
老人を捨てるという発想は結局のところ体が動かない(働けない)、或いは認知症などの問題(介護などの問題)などから発生しているものだと思いますが、そうすると一定の年齢によっても個人差がかなりありますよね。下手な若者より動ける老人などいくらでもいます。
そうすると、あの老婆を負ぶって山を登っていく姥捨てということをそんな元気な老人に対して行う必要がない、というより出来ないわけで(ピンピンしているんだから逃げられますしね)、貴重な労働力を単に一定の年齢に達したというだけで捨てに行くなどということがあるわけがありません。

とは言え、認知症などの問題は昔からあるでしょう。年齢は関係なく、介護しなければならない老人も出てくるはずです。そうなるとどうでしょうか?姥捨ての制度がないとしても、捨て老人はあったのではないか(いや、江戸ではあったのですが)と考える方が素直です。
実は農村では飢饉になるとまず幼児を捨てていたということです。これは老人であっても労働力などにおいては社会の維持に貢献できるからであり、子供はまた作ればいいという発想からだそうです。
当時は生き延びる為に合理的な選択をしているだけであり、そこには今のような道徳観や倫理観とは違うものがあるわけです。
となれば、姥捨てというものを制度化するのは明らかに非合理的ですから当時の価値観からすればやっていなかった可能性が高いです。だからと言って姥捨てという事自体が行われていなかったわけではなく、制度としてはないかもしれないが姥捨て自体は行われていたとみるほうが自然なようです。




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