九州人の佐賀差別~佐賀は韓国や北朝鮮らしい

      2020/01/13

「佐賀、北朝鮮のよう」自民・谷川議員が長崎新幹線めぐり発言

九州以外の人には良く分からないかもしれないが、九州の人はとにかく佐賀を馬鹿にする人が多く、実際差別に等しいレベルだと思う事がよくある。
特に福岡県人の佐賀下げはひどい。
今でこそタモリ氏はすごくイメージのいいタレントさんだが埼玉名古屋についで佐賀をよく馬鹿にしていたのを思い出す。
最近日本や日本人を殊更持ち上げる風潮があるが、日本人の差別意識を想うとき、本当に日本は住みやすくていい国なのか少し疑問である。

今回のこの発言も多くの佐賀県民はある意味なんとも思っていないかもしれない。
普段から散々馬鹿にされているからこんなもんだろうと。
ヤフコメでも北朝鮮みたいといった発言を見た事がある。
とは言え、発言したのが国会議員の先生なので批判されても仕方ないだろう。差し詰めヤフコメレベルの発言となるが、国レベルでは大して問題になっていない。
日本では韓国や北朝鮮のようだ、という表現は程度の差はあれ根底には差別意識があるだろう。しかし、そのあたりの事には誰も触れない。同時期に北方領土問題について戦争で取り返すしかないと発言した議員とは雲泥の差である。
韓国や北朝鮮に例えられて失礼だと言ってしまえばその途端自分の当該国に対する認識が露呈してしまうので勿論そんなことは言えないが。もし、タフな交渉相手という事でアメリカなどをたとえに出していたらどうだろうか。詰まるところ谷川議員及び長崎県民がどのように佐賀をみているのかという点が一番問題なのである。
中学生の頃、友達が教師に対してこのチョーセン野郎と罵ったことがあるが(多分れっきとした日本人だと思いますが)その教師からボコボコにされていました(笑)
もし、これがアメリカ野郎だったらどうだったのでしょうか。
結局この発言は常日頃から思っている佐賀に対する感覚、差別意識なのです。
韓国や北朝鮮に例えるとは差別だ!と言ってしまうと自分たちの差別意識を暴露してしまうのでそれは言えない。
当の佐賀県知事も遠回しに苦言を呈するしかない。

いずれにしても長崎の人たちの佐賀の見方も似たり寄ったりであることは確実である。
このような差別意識を公然と持っている節がある長崎が平和都市などと喧伝しているのもなんだかおかしな話ではある。長崎の高校の同窓会のサイトだがネトウヨ臭満載で唖然→長崎県の発展を邪魔しているのは佐賀県ですか

そして佐賀県民はそのように蔑まれていても華麗にスルーなのである。
言われている事もあながち間違ってはいないと (笑)
いくら嫌われようが気にせず我が道を行く、異質の県民性。むしろ佐賀県民はそれに誇りを持ってすらいるのかもしれない(唐津、鳥栖地域は除く)
原則はこうだ、理屈はこうだ、おかしいことはおかしいと周りの空気を読まず発言するのが佐賀県人である。頑固、融通が利かない。理屈ばかり言う。
日本人は理詰めで会話されることを敬遠する民族であることはよく言われるが、佐賀県人は昔から理詰めでものを言う人が多く、正論をよく言うがだから嫌われるのかもしれない。この事から日本人は非論理的であるという認識を海外の人はよく持つらしいが、日本人にとってはめんどくさい奴と映るらしい。

新幹線の整備については各地域の思惑があり一筋縄ではいかないがこれほど強硬に反対する県もなかなかないだろう。
よくよく佐賀県の言い分を吟味してみると佐賀県の言い分の正しさが分かってくるのだが正論が常に通るとは限らない。
そして、多くの日本人が思うに違いない。言いたいことは分かるけどみんな我慢してんだからお前の県だけ我儘言うなと。
ここにある論理はもはや言っていることが正しいとか正しくないとかの話ではなく、みんながそうやっているんだからあんたも同じようにしといたほうがいいべ、という日本的和の精神であろう。
まさにムラ社会日本。
言うべきことをきっちりと言うと嫌われ、正論を吐くと、融通の利かない変わった奴だと馬鹿にする、話にならない韓国や北朝鮮と同じだと。

でもそのようなムラ的交渉術は国際社会では通用せず、最終的に論破されてしまうのが日本人なのかもしれない。
いつまでも自分たちの考えと違う事をするものを異質なものとして排除しようとする社会は世界の趨勢からどんどん取り残されていくのかもしれない。




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